後悔と自責を繰り返しながら
パパの体力を考えると二拠点生活もしんどくなってきたので、パパとママは真鶴の別荘に戻っていった。百々果は電話でも話せなかったし、面と向かって話すこともなかった。
そして約1ヶ月後の12月19日、パパが亡くなった。
皮肉なことに、報せを受け取ったのは百々果だった。ママは私に電話をしたけど、スマホをマナーモードにしていて出られなかったために百々果に掛けた。
百々果は最後の電話でパパとそっけない会話をしたこと、ちゃんと謝れなかったことを、ずっと後悔していたそうだ。
パパが亡くなった報せを受け取った百々果の心境を考えると、私にもつらいものがある。
「あのとき、どうしてもっと話さなかったんだろう」
「ひどいこと言っちゃったけど、ぢっぢはどんな気持ちで聞いてたんだろう」
パパが亡くなったあとも、百々果はパパとの一件をずっと引きずっていた。後悔と自責を繰り返しながら、パパがどうして変わってしまったのか、パパとなぜぶつかってしまったのか、その原因となった人工透析についても考えるようになったそうだ。
闘病する人たちのクオリティ・オブ・ライフ
尿管と一緒に腎臓を全摘せず、人工透析を避けるという選択もあった。それだと尿管がんの進行を免れることはできない。でも、パパは80歳だったから進行はゆっくりだったはずだ。透析することを選んで苦しんだけど、そうしなければおだやかに余生を過ごせたのではないか?
パパもママも私も悩みに悩んだ。
最後の最後は医師からの「お孫さんの20歳になった姿を見たいでしょう」という一言が決め手となり、パパは人工透析を始めた。
「食べ物もあまり食べられない、お水も飲まなくなったし、ぢっぢがあんなふうになっちゃうとは思わなかった」
いままでできたことができなくなったパパの姿を通して、闘病する人たちのクオリティ・オブ・ライフについて考えるようにもなったようだ。
写真=鈴木七絵/文藝春秋
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