互いに通じる〈家政夫〉と〈祓い屋〉のバディ
寄り添うといえば、家政夫としての秋生も実は同じである。彼は家事について「家の中が片付いていれば気分がいいだろうし、おいしいごはんを食べれば嬉しくなる。それは決して疎かにしてはいけない幸せだ」と考えている。彼が家政夫として有能なのは、利用者の幸せについていつも考え、想像を巡らせているからだろう。これは祓い屋としての透のスタンスに通じるものがある。
実際、透と秋生はよきバディ(というか探偵役と助手)となって、いくつもの事件を解決していく。駅での幽霊事件(「二十一時三十八分の幽霊」)に続いて、第二話「二〇一号室の女」ではストーカー殺人の被害者の霊が、第三話「ごっこ遊びの家」では交通事故死した母親と子どもたちの霊が、透と秋生の前に姿を現す。それぞれ幽霊の切実な思いが伝わってくるような物語が用意されているのに加え、「二〇一号室の女」では幽霊を現世に結びつけている“楔”の存在がミステリー的に解明され、「ごっこ遊びの家」では生者と死者が近づきすぎることの危険性がテーマとして浮上するなど、趣向の凝らされた連作短編集になっていて、最後まで気が抜けない。結末近くにはある登場人物にまつわる意外な事実が明らかになり、その切ない顛末にも胸を打たれる。
物語は全三話で綺麗に完結しているが、透や彼の家族についてはまだまだ明かされていない部分も多く、大いに気になる。そのあたりはこの先、少しずつ語られていくのだろうか。一日も早いシリーズ化を希望したいところだ。
八雲ブームによって怪談に注目が集まるなか、幽霊話を“かつて生きた人の物語”として読み解く物語が、実力ある作家によって書かれたことの意義は大きい。普段あまりホラーや怪談を読まない、という人にもぜひ手にしてもらいたい一冊だ。本が好きなら、透の口から発せられる言葉が、すとんと腑に落ちるはずである。
忘れずに言い添えておくと、秋生の作る料理はどれもとても美味しそうだ。こんな家政夫さんがいるなら、ぜひとも依頼してみたい! 思わずそう感じた読者は、私だけではないだろう。