ここに二人の確執を解く鍵があるように見える。重く受け取るとすれば、三種の神器以外にあり得ない。皇太后は皇位の象徴である神器を、昭和天皇に渡したくないと考えていたのではないか。天皇自身が常々そう思っていたからこそ、わざわざ話を広げているのだ。
昭和天皇は最愛の妻にも自らの決断を…
身内への非難の言葉に満ちた『昭和天皇拝謁記』のなかで、例外と言えるのが妻の香淳皇后だ。戦時中でも皇后とはずっと一緒に暮らしていた。しかし「香淳皇后実録」の公開により、敗戦に際して二人の間に意思の疎通がとれていなかったことが明らかとなった。45年8月14日条から引こう。
「昨十三日より御用御多端の天皇をお気遣いになり、内廷庁舎等と御文庫との度重なる御往返に際し、お見送り又はお出迎えになる。夜、翌十五日に御参内予定の皇太后へ御贈進になる菓子をお作りになり、最初に作られた物を天皇にお贈りになる」
同日の天皇が「聖断」を下してポツダム宣言の受諾を連合国に通告し、深夜に宮内省内廷庁舎で玉音放送を収録することを、皇后が知っていたようには見えない。戦争継続を前提として軽井沢に疎開する予定の皇太后が翌15日に暇乞いのため参内するのに合わせ、14日夜に菓子を作ったという記述が、それを示している。天皇はどういう気持ちで皇后から菓子を受け取ったのだろうか。
天皇は最愛の妻にも自らの決断をギリギリまで伝えなかった。「香淳皇后実録」8月15日条には、皇后が午前11時55分にラジオのスイッチを入れ、正午からの玉音放送を「静かに」聴いたとある。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2026年の論点100』に掲載されています。


