――とはいえ何もわからない状況に1人は心細いです。
モナ しかも1人めの時は「きっちり子育てしたい」と思い過ぎて、夕方5時に寝かせようとしたりしていました。でも2人め、3人めとだんだん「ここは手を抜いてもなんとかなる」というところがわかってきて、多分うちだけじゃないと思うんですけど、下の子の方が手をかける度合いは減ると思います。だからなのか、3人めが性格的に一番自立してますし、いろんなことができるようになるのも早かったですね。
――上の娘さんが中学生などになってくると、また別の悩みも出てくるんじゃないですか?
モナ いままさに思春期に入ってきて、新しいトラブルもやっぱりありますね。学校や幼稚園の用事もあるし、ロースクールに行くようになってからはその時間のやりくりもあって、塾のお迎えを忘れたことも何度もあります。塾から「どなたもお迎えにいらっしゃってないようなのですが……」と電話が来て慌てて迎えに行ったり。
――受験や教育などの方針はあるんですか?
モナ 長女の時はすごいコミットして、習い事も含めてガチガチにレールに乗せようとしていました。危ないことはやらせない、やってほしいことは押しつけて。
でもある時、長女から「ママと私は違う」って言われたんです。「ママは勉強が好きかもしれないけど、私は違う」「バイオリンは本当に嫌だった」って強く言われて。
――それはショックでしたか。
モナ ショックもありましたけど、そうだよなと反省しました。年齢が上がって母娘で喧嘩したりすることで、子どもたちと自分が別人格なことがやっと受け入れられて、一方的にガチっと押し付けていたことを「本当にごめん」と謝りました。
――夫婦間で育児の役割分担などはあったのですか?
モナ 子供のことは基本的に全部私がやっていましたね。金銭的なことに対しては夫が、という感じでかなりはっきり分かれていました。
「だんだん自分の中に『妻』の立場と、『母』の立場しかないような感覚になってくるんです」
――芸能界で長く活躍されていたところからの子育てに全力という振れ幅の大きい十数年だったと思うのですが、モナさん自身の中で変化した部分などはありますか?
モナ 3人の子どもに恵まれて、生活基盤が固まった感覚はありました。子どものため、家族のために自分がやらなきゃいけないことがすごくはっきりしていて、自分がいるべき場所もあると感じられて、精神的にはどんどん落ち着いていきました。
後はテレビに出なくなったことで、外を歩いていても視線を感じなくなったし、もううつむいて歩かなくていいんだ、というのは嬉しかったです。ただ、時間を追うごとに「これだけでいいのか」という不安が出てきたんです。
――どういうことでしょう?
モナ 結婚して夫の苗字になり、子育てに全力で向き合うという決断は間違っていなかったとは思うんです。でもそうやって10年以上生きていると、だんだん自分の中に「妻」の立場と、「母」の立場しかないような感覚になってくるんです。
――〇〇ちゃんのママ、のような。
モナ まさにそうです。それまでは社会の1人として存在していた「山本モナ」という存在が消えていって、〇〇さんの妻、〇〇ちゃんの母っていうステータスしかなくなっていく。それで幸せだし、そうなりたいと思っていたはずが、だんだん不安になってきて。
――どんな不安だったのでしょう。
モナ 夫は相変わらずキラキラしてるわけですよ。結婚した時は小さかった会社がどんどん大きくなって、上場して。今でも「あれがやりたい」「次はなんとかだ」って楽しそうに仕事をしている。
このまま数年して子供たちが巣立った後、このキラキラした夫のそばで私は一体どうするんだろう、「〇〇の妻です」というだけで生きていくんだろうか、って思ったんです。子どもたちの人生は子どもたちのものだから自分を乗っけてもらうわけにもいかないし、そもそもそんなの迷惑だろうし。
――それで、次のステップを探し始めたのですね。
モナ もちろん子育ては続いていきますけど、自分自身が何か頑張る目標がないと苦しいなと思ったんですよね。そこにコロナ禍も重なって“学び直し”みたいなことも。
――誰かに相談したりはしたのですか?
モナ コロナ禍の最中に広島に帰省していた時に、母に「仕事したかったんじゃないの」と言われたのは大きなきっかけになりました。それで自分の人生の棚卸しを始めて、もともとずっと引っかかっていた弁護士という道を、掘り起こしてきたんです。

