――本当にやりたいことを仕事にしているのが羨ましかった、とか?

モナ そうかもしれません。当時の私は流されるままにオファーされる仕事でいっぱいいっぱいになっていて、そのストレスでお酒にいったり、タバコにいったり……。それで彼との結婚が現実味を帯びてきたときに、「これはドラスティックに区切りをつけないと、自分の人生によくない」と思って引退を決めました。

――モナさんくらい著名な方だと、苗字を変えることに抵抗はありませんでしたか。

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モナ むしろけじめをつけるためにはそのほうがいいと思ったし、当時は再び仕事をするつもりもなかったのでするっと決めました。

 

「1人めの時点で“高齢出産”扱いでしたし、3人めは43歳でした」

――それから3人のお子さんが生まれていたことを今回知って「驚いた」という声も多くありました。

モナ もう13歳、11歳、6歳になりました。長女、長男、次女ですね。1人めの時点で36歳だったので「高齢出産」扱いでしたし、3人めは43歳でしたからね……。ただ個人的な実感としては、30代で生んだ2人は大丈夫だったんですが、3人目の時は本当に大変でした。

――やはり体力的なことでしょうか。

モナ 私の場合は、妊娠中から生むまではそんなに問題はなかったんです。生んだ後が大変で、子どもを生むと髪が抜けるんですけど、30代のころはすぐに生えてきたのが3人目の時は全然戻らなくて、6年たった今でも戻り切ってないんです。あれは悩みましたね。

――そんなところにも影響が出るのですね。3人めが年が少し離れているのは何か理由があったのですか?

モナ 1人めの時から不妊治療をしていたんですけど、3人目の時は年齢もあってなかなかできなくて時間がかかったんです。体外受精は体の負担が大きいし、「生めたとして3人同時に子育てできるのか」「もし生めなかったら……」といろんな可能性をシミュレートしてしまって精神的にもキツかったですね。

――それから13年間お子さんを育ててくる中で、一番大変だと感じられたことは。

 

モナ とにかく本当に何もわからないんですよね。本を読んで勉強はしたんですけど、実際に赤ちゃんと暮らし始めてみるとわからないことだらけ。母も高齢で東京にはなかなか来られなかったので、本当に1人でした。

 困ったことがあるたびに病院の助産師さんや看護師さんに電話して「おへそが黒いんですけど、どうしたらいいですか」とか、全部聞いていました。

――経済的にはシッターさんなども選択肢だったと思うのですが、あまり利用されなかったのですか?

モナ 1人めのときは仕事もやめてましたし、子どもが可愛い気持ちも大きくて自分でやろうと入れ込んでいましたね。