11月、司法試験合格をSNSで発表した山本モナさん。
35歳で芸能界を引退し、36歳で長女を出産。その後3人のお子さんを育てながら46歳の時に早稲田大学のロースクールに入学し、49歳にして3度目の試験で見事に難関試験を突破した。
芸能界引退のきっかけになった夫へのうらやましさ、3人の子育て、「母」「妻」という立場以外の自分が消えていく不安……。たてつづけにやってきた人生の決断についてモナさんに話を聞いた。
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――司法試験合格、おめでとうございます。
山本モナ(以下、モナ) ありがとうございます。思ったより多くの人が反応してくださって、びっくりしています(笑)。
――2011年に結婚式と同時に芸能界をいったん引退されていますが、その後はどんなふうに過ごしていらっしゃったのでしょう。
モナ 2012年に長女が生まれて、その後に芸能の仕事も再開していたんですが、基本的にはずっと子育てをしてましたね。それで3年前から早稲田のロースクールに通って……という感じです。
――そもそも芸能のお仕事を引退されたのはなぜだったんですか?
モナ 当時の私は仕事が忙しすぎて、自分のことがよくわからなくなってしまっていたんです。ものすごい数のテレビ番組に出ている状態で、オファーをいただくことは嬉しいし、テレビの仕事は楽しいんですけど、人前に出ることへのプレッシャーが積もり積もっていました。もともと、アナウンサー志望だったわけでもないですし。
――そうなんですか?
モナ 私の家系は祖父も母も新聞社で働いていて、私も記者志望でした。でもアナウンサー試験って日程が早いので、受けてみたら朝日放送さんから合格をいただいて。朝日放送はとても雰囲気がいい会社で、せっかくの縁だしやってみようと思って入社を決めました。
アナウンサーの仕事をやめるきっかけは「夫に会ったことでした」
――アナウンサー時代のモナさんも楽しそうに見えました。
モナ 自分としては「やっぱり違う」という気持ちは消えませんでしたね。1年ちょっとで、ニュースセンターに「記者やりたいです」と伝えて、記者をやらせてもらった時期もありました。
――そんな状況でも、アナウンサーとしては売れっ子になっていった。
モナ 幸いお仕事はたくさんいただけて、29歳でフリーになってからはほぼ休みなしでした。朝7時から夜の11時までフジテレビにずっといて3つ収録して、その後かくし芸の練習、みたいな生活でした。あまりにお台場にいすぎて、仕事と関係がない日に車であのあたりを通ると無意識にお台場で降りちゃうくらいでした。
――そこからの引退は急です。
モナ きっかけは、夫に会ったことでした。彼は自分のお金で1人で自分の会社を作ってそれを大きくしようともがいていた時期だったんですが、今まで周りにいないタイプで新鮮だったんです。自分がやりたいことを仕事にして、こんな人もいるんだな、と。

