スー・チー 私はもともと、映画を作ってみたいと思ったことはなかったんです。ましてや監督をやろうなどとは考えていませんでした。でも『黒衣の刺客』(2015)の撮影中に、ホウ・シャオシェン監督に「映画を自分で撮ってみたら」と言われて以来、私はどういった物語を伝えたいのかと考えるようになり、自分の中に映画を撮るという気持ちが生まれてきました。そこで脚本に取り組むことにしたのですが、実はこの『女の子』を含めて、3本の脚本があったんです。そのうちの2本は他の脚本家の方に協力していただいていたのですが、どうもしっくりこなかった。そこでまたホウ・シャオシェン監督に「どうすればいいですか?」と聞いたんです。その中で「自分の伝えたい物語を大事にして伝えていくのがいいでしょう」というふうに教えていただきました。

母はシャオリーに厳しくあたる

やはり私にも傷はあったんだ

――シャオリーが両親に虐待されたり、見ていて辛いシーンもありました。スー・チーさん自身の経験が元になっているそうですが、少女時代を思い出しながら脚本を書き、そして映画を撮るというのは、辛い作業ではなかったですか?

シャオリー(バイ・シャオイン)

スー・チー 実際のところ、映画の制作中においてはそうした辛さは全く感じていなかったんです。最後の最後、編集が終わった時もそこまで大きな感慨というほどのことはなかったんですが、プロデューサーから「やっと終わったね」って言われた時に、感動の涙は確かに流れました。

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 しかしその後、釜山国際映画祭へ向かう途中で、この映画についてのある評論を読んだんです。そこには「私はこの映画が大嫌いだ。まるで自分が玉ねぎのように、皮をむかれて素顔になっていく、裸になっていくようだった」という表現で、悲しみを感じたということが書かれていました。これを目にしてから私も、「ああ、なぜこういうふうになったのだろうか」と考えはじめました。確かに、心に傷を負った人からすればかなり辛い映画になるということは、私もわかってはいました。でも、私は、私自身はどうなのだろうか。そう考えてみると、制作中は特に辛くは感じなかったけれど、映画を観た人々から今のような質問を受けて話しているうちに、やはり私にも傷があったんだろうなと思い至るようになりました。