私も主人公のようにクローゼットに閉じこもった

――スー・チーさんはそうした経験を経て成長されましたが、やはり少女であること、人生のある段階を少女として生きるというのは、この映画の中のシャオリーのように複雑な家庭でなくとも、どんな家で育っても難しいものなんじゃないかと思うんです。少女であることの辛さ、難しさについて、大人になったスー・チーさんはどのように思っていますか?

スー・チー シャオリーのような、複雑な背景のある家庭を持つ子もたくさんいますね。でも、どんなに年月を経ても、年齢が離れていても、私も含めて誰もが“女の子”だったという事実は変わりませんし、それはどんなことがあっても人生の一部である、ということです。私自身の中では、どのような人にもこの映画と繋がってもらえるのではないかな、と思っています。あのシャオリーの母親も、他の大人の女性たちも、誰もがかつては女の子として生きていたんですから。

「誰もが“女の子”だった」

――確かに。そのような意味ではとてもフェミニズム映画であり、その点も素晴らしいと思いました。

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スー・チー 自分の過去を振り返っていくと、私も寂しい時、もしくは恐怖感があった時は、やはりシャオリーのように自分をクローゼットの中に閉じ込めるようなところがありました。映画の中で、シャオリーはクローゼットの中に隠れて辛い時間を過ごしている時に、お人形さんを抱えていることがあります。実は、彼女の親友になる転校生のリリーは、あの人形の別の姿なんです。つまりリリーは現実に存在する人物ではなくて、シャオリーの空想の世界にいる、イマジナリー・フレンドなんですね。単純かもしれませんが私の考えとして、彼女がただただ暴力を受けたり、怯えたり、逃げるとかではなくて、女の子ならではの想像を通して、何か可愛いものとか幻想的なものをそこに取り入れて描きたかったんです。

リリー(手前)とシャオリー

――ああ、そうだったんですね! てっきりリリーは本物の友達だと思っていました。

スー・チー (笑顔で)そう思っていただいても構いませんよ。