確かに、意志の強い女性というのには、母性への憧れもあってひかれてしまう。しかし、自分はそういう女性とはうまくいかないと、自覚していただろう。
さらに、八雲がもっとも苦手なのは、女性のほうからグイグイと積極的に迫られることであった。このことは、息子の一雄もこう記している。
かつて米国で新聞記者時代においてすら、某夫人でハーンの崇拝家があり、たびたび招待したり、物品を寄付したり大分熱を上げた時「私も記者として当市では幾分人に知られている人間です。変な噂などたてられたくありません」といって父は避けている(小泉一雄『父小泉八雲』小山書店1950年)。
八雲は反射的に身を引いたのではないか
八雲の性格がよく表れているエピソードだ。彼は自分自身を「深い傷を抱えた詩人」として捉え、世俗の恋愛には馴染めないという自意識を持っていた。いわば、ロマン主義的な被害者意識である。
八雲は繊細すぎるがゆえに、自分自身を常に俯瞰してしまう。恋愛の瞬間に、傷つきたくない、自尊心を守りたい、噂が怖い、自分には荷が重い、そうした感情が一気に湧き上がってくる。その結果、惹かれはするが、逃げる。好意を抱きながらも、距離を置く。まさに「めんどくさい系ロマンチスト」である。
そして淑子である。気性が激しく、自我が強く、行動力は並外れている。権威に怯まず、県議会に乱入しかけ、領事館と渡り合い、最後には駆け落ちまでする。これは八雲が理想として描く「意志の強い女性」というより、あまりに強すぎる現実だった。
こうした女性が少しでも距離を詰めてくると、八雲は反射的に身を引く。「これは自分には無理だ」と。彼は完全に自覚的だったのである。
なので、本音のところウグイスの贈り物には感動しつつも「え? なんで生き物? ちょっと重くない?」と恐れおののいたのではなかろうか。
まさに「ジゴク、ジゴク」の心境だ。八雲のノイローゼが長引いたのは、これも一つの原因だったのかも知れない。(参考記事:だからセツは「気難しい外国人」を夫に選んだ…小泉八雲が「目病を放置した女中」に向けた“不器用すぎる優しさ”)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
