この時、琴を演奏したのが安定の娘・淑子(史料により「とし子」とも)であった。その後のことを池野誠『小泉八雲と松江 異色の文人に関する一論考』(島根出版文化協会 1970年)では、こう記している。
ハーンはその後、県知事令嬢と交際するようになった。県知事籠手田安定には令嬢が二人あったが、よし子は松江婦人会会長をつとめたりするほどの才媛ぶりを発揮し、ハーンのこともなにかと世話をしたので、彼も彼女に対しては特別の好意をいだいたのだった。
実際、翌年にかけて八雲と淑子との関係はかなり密接になっている。池野の著書では、1891年の初頭、寒さもあり寝込んでいた八雲に、淑子は見舞い状と共に珍しい形の籠にいれられたウグイスを届けたと記している。ここで池野は「美しい鳴き声に心を慰められた」「好意に感動したのだった」と記している。
実際、この時期の西田宛の手紙でも淑子に礼状を送る予定であることなどは書いてある。しかし、それっきり二人の関係は発展しなかった。安定が新潟県知事に転任した後に送った手紙で淑子に触れている部分はあるが、その程度である。
警察の船を“私用で使った”と、議会で大問題に
短い期間とはいえ、松江で最初に世話を焼いてくれた女性である。ドラマでは脚色があるものの淑子が好意を寄せていたのは事実であろう。その関係が発展しなかった理由はなんだろう。
それを考えるために、淑子の人物像に触れてみたい。淑子については、史料により長女とするものや、三女とするものなど記述に違いがある。池野の著書によれば、淑子は内妻の娘であったとあるので、そうした関係で異同が生じているのだろう。ともあれ、松江まで連れてきたのだから安定が可愛がっている我が子だったことは間違いない。この淑子は才覚もあるということで、松江婦人会の会長も務めていた。
こう書くと、父親を陰日向で支える貞淑な令嬢のイメージもあるが、そうとばかりはいえない。八雲が松江に来る前のことだが、淑子は議会で取り上げられ地元の新聞に書き立てられるトラブルも起こしている。