1978年、ヤクルトスワローズが叶えた奇跡の日本一。“冷徹な監督”は優勝未経験の弱小球団をどう変えたのか。数年にわたる取材で名将・広岡達朗の過去と現在に迫った書籍『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』が発売される。93歳になった現在も舌鋒鋭い評論活動を行い、ネット上で“老害”とも揶揄される広岡達朗の知られざる素顔とは。同書籍のなかから、広岡との生々しいやり取りの一部を紹介する。
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初めて彼に話を聞いたのは、彼が87歳の頃だった。
このときのインタビューは鮮明に記憶に残っている。初めて広岡に会うということで、編集者、カメラマンがとても緊張していたからだ。もちろん私自身も、厳格で知られる広岡と対面するにあたり、「心して臨まなければ」とかなり身構えつつ、彼の自宅を訪れた。
「さすが、広岡達朗だ…」厳格な名将の素顔
しかし、予想は見事に裏切られる。本人は実に機嫌よく、かつての監督時代について流暢に話してくれたのだ。取材時間は1時間の予定だったが、「特にこの後の予定はないから」ということで、3時間弱にわたって、当時の思い出を聞かせてくれたのだ。
インタビューというものは、それが誠実に行われるものであるならば、質問する方はもちろん、答える側も相当な体力を必要とするものだ。それでも、このときの広岡は3時間近く、理路整然と答え続けた。ときに笑顔を見せながら、こちらに向き合ってくれた。
(さすが、広岡達朗だ……)
それが、このときの偽らざる思いだった。
ここから広岡に断続的に話を聞く関係が始まった。各社、各媒体で彼に話を聞き、それを原稿にまとめることとなった。この間、新型コロナウイルス禍に見舞われた。高齢の広岡への取材は電話で行われることになった。
「私にできないのは妊娠と出産だけだ」
数年が経過していく。広岡は夫人の介護に励みながら取材を受けてくれた。病身の妻に代わってスーパーまで買い物に行き、台所に立つこともあったという。
「広岡さんは買い物も料理もできるのですか?」
そう尋ねると、「当然だよ」と自慢気に言った。
「広岡さんは何でもできるんですね」
このときの彼の返答が忘れられない。
「私にできないのは妊娠と出産だけだ」
受話器の向こうの得意満面な表情が容易に想像できた。ときおり広岡は、大真面目な口調でこうした冗談を口にした。いわゆる下ネタが飛び出すこともあった。「クールで厳格な知将」というパブリックイメージ通りの印象を持っていた私は、そのたびに面食らったものだが、気がつけば、そんな広岡に魅了され、彼へのインタビューに夢中になっていた。
しかし、ある頃から少しずつ事態が変化していく。最初の兆候は耳が遠くなったことだった。
