高市氏は自民党総裁選のさなか、「奈良のシカを蹴り上げるとんでもない人がいる。SNSでも目にする」と述べた。さらに「日本人の気持ちを踏みにじって喜ぶ人が外国から来るなら、何かをしないといけない。日本の伝統を守るために体を張る」と強調した。「外国人問題」というわかりやすい問題提起だったが、その根拠は示されなかった。
「根拠はあったのか。確かめたのか」と問われると…
総裁選の共同会見で記者から「根拠はあったのか。確かめたのか」と問われると、高市氏は「こういったものが流布されていることによる、私たちの不安感、そして怒りがある。これは確かだ」などと答えた。事実関係の確認ではなく、「不安」や「怒り」へと論点をすり替えた形だった。
ところが11月10日の衆院予算委員会では、首相は一転して「英語圏の方だったが、私自身が、シカの足を蹴っている行為を注意したことがある」と説明する。根拠不明の話は、いつの間にか自らの経験談へと姿を変えていたのだ。
「シカ発言」の撤回を求められても、首相は「まだ総裁でもなかった頃の発言について、撤回しろと言われても、撤回するわけには参りません」と応じなかった。意地になるこの感じも凄い。
根拠が曖昧な話が「外国人問題」というわかりやすさの名のもとに語られ、修正されず、やがて本人の「確信」へと変わっていく。その延長線上で、台湾有事をめぐる答弁では、従来の首相答弁の枠を跳び越える言葉が飛び出した。
わかりやすさと、引かない姿勢が裏目に出る構図は、すでに奈良のシカの時点で現れていた。今回はその舞台が、国内の話題から外交・安全保障へと移っただけのことだ。問われているのは、首相だけでなく、国会で議論するという意味そのものだろう。
「質問したほうが悪い」という言葉に慣れてしまったとき、失われるのは議論の側だ。
