映画における「世界共通言語」
芝山 素晴らしい環境ですね。当時のロサンゼルスの風通しのよさが伝わってくる。先日、原田監督が撮った『BAD LANDS バッド・ランズ』(2023年)を見返して、アメリカ映画の富を正統的にというか、具体的に継承した作品だと感じていたのですが、そんな背景があったんですね。『バッド・ランズ』は、ロケーション撮影、キャスティング、編集のペースといった要素がすべて高水準で、映画的快楽がふんだんに盛り込まれている。日本もアメリカも、このところ映画的運動神経が衰退してきたと思っていたので、とても嬉しかったです。
原田 ありがとうございます。基本的に僕の映画の会話のスピードは全部70年代のアメリカ映画を見て学んだものです。
芝山 原田さんが意図的に導入しているあのセリフのスピードの意味や鉱脈を、今の観客や映画関係者はわからないのでしょうか。もちろん、ハワード・ホークスの『ヒズ・ガール・フライデー』(1940年)や、スタンリー・キューブリックの『現金(げんなま)に体を張れ』(56年)に対する返答は感じられますが、原田監督の作品では、政治、経済の問題や世相の問題が、ごく自然に映画の血となり肉となっている。この点においても70年代のアメリカ映画を彷彿させるんですね。
原田 僕は、「TIME」誌が「ニューシネマ」とカテゴライズした『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン監督、67年)から、『レッズ』(ウォーレン・ベイティ監督、81年)まで、あるいは『天国の門』(マイケル・チミノ監督、80年)までの一区切りの時代の作品群は、映画における世界共通言語だと思っているんです。僕が映画を撮るときにイメージするテンポ感とか会話のスピードなんかは、その共通言語で役者に伝えることが多いですね。
演技ワークショップもよくやるんですが、そこでも若い連中に「これぐらい見ておかないと映画の世界で生きていけないよ」と口酸っぱく言っています。これから世界に出て行った時に、70年代の映画を知らないと世界から集まった役者たちとコミュニケーションが取れないと思うんですよね。
芝山 同感です。肉体や言語に対する信頼が大きかった時代ですね。
原田 ただこのアメリカ映画界の豊かさは80年代に入って失われてしまった。僕はそう考えています。
芝山 やはり、映画づくりの現場をわかっていない背広組というか、撮影所の重役たちが、作り手たちの作家性を抑圧、もしくは排除してしまったからですか?
チミノ監督の罪は重い?
原田 その通りです。70年代初め、ハリウッドの主流は映画監督が映像を通じて内なる思想を表現する「作家主義(auteur theory)」でした。スタジオの重役も映画好きばかりだったから、商業的な視点が疎かになっていたのも事実です。
ただ、この傾向が行きすぎて、どんどん製作費を使いすぎちゃった。『地獄の黙示録』(フランシス・フォード・コッポラ監督、79年)は何とか帳尻を合わせたからよかったけれど(製作費3100万ドル)、『レッズ』(同3200万ドル)にしろ、『天国の門』(同4400万ドル)にしろ、製作費が巨額になりすぎて、映画会社は大変なことになった。実際、『天国の門』で製作会社が破綻しました。
それで、もう作家に任せちゃ駄目だということになるわけです。スタジオの重役にも弁護士や会計士なんかが名前を連ねるようになった。それで時代が変わっていっちゃう。だから、『天国の門』を撮ったチミノの罪は重いんですよ。
芝山 たしかに。ただ、彼は一種の奇才でしたよね。
原田 ええ。とは言っても、チミノって演出家としては本当に素晴らしいんですよ。僕は最初、彼の『ディア・ハンター』を見た時は、正直大嫌いな映画だったんです(笑)。自分の最初の監督作品『さらば映画の友よ』を撮り終わったその日の試写で見たこともあって、「何だ、この映画は!」という感じで。それが10年、15年経ったあとに見直して、ようやく好きになった。
あれはベトナム戦争の話というより、移民の国アメリカの田舎で暮らす、ロシア系移民のコミュニティの話なんですよね。USスチールの従業員として働いている主人公たちは、ベトナム戦争というトラウマに見舞われる。それで崩れてしまったコミュニティの信頼関係をいかに再生するか、というのがこの作品の主題です。そう理解できた時に見方が変わりました。ベトナム戦争はメタファーとして使われているんです。
芝山 その通りだと思います。映画の軸は、移民の共同体です。
