「変態とお仕事したい」「私も変態です」
二階堂のエキセントリックさを代表するのが「変態」発言だ。17歳の頃のインタビューでは次のように語っている。
「私はもっと『変態』とお仕事がしたい。(中略)心臓も内臓も脳味噌までもその現場に浸食されたいから、のめり込ませてくれる変態と仕事がしたい」「かく言う私も変態です」(『週刊朝日』2012年2月24日号)
連続爆破魔を演じた『脳男』(2013年)で、17回もキスシーンのやり直しを命じた瀧本智行監督を「変態」と呼び、『蜜のあわれ』(2016年)の石井岳龍監督を「紳士的な変態」と称する(『文學界』2016年5月号)。自分の好きな「変態」たちに囲まれ、ハイペースで映画に出演し続けていた。
沖縄で生まれ、12歳のときに古着屋でスカウト
1994年、沖縄県那覇市生まれ。幼少期は映画が友達だった。小学生の頃は友達を作るのが苦手で、いつも一人で過ごしていた。時間を持て余していた娘に、母は自分の好きな映画を観させてくれた。
11歳のとき両親が離婚。金銭的にも苦しい生活を余儀なくされた。二階堂は当時について、「とにかくちょっとしんどかったですね。そのまま地元に居続けると、自分が壊されていっちゃうんじゃないかなっていう気持ちがあった」と振り返っている(『突然ですが占ってもいいですか? 2時間SP』 2021年12月22日)。
ヨーロッパの古い映画の影響で古着が好きになった。ロリータファッションにも傾倒していたことがある。まわりからは完全に浮いていた。12歳のときにスカウトされたのは、大切な居場所にしていた古着屋でのこと。現在の事務所からのスカウトは渡りに船だった。
「不思議ちゃんイメージは脱却できたから…」
沖縄と東京を行き来しながら仕事をするようになった。上京して都立の高校に通い、はじめて友達と遊んだり、恋をしたりしたことは、彼女にとって視野が広がる大きなターニングポイントになったという(Numero TOKYO 2015年2月13日)。
「不思議ちゃん・天然ちゃんイメージは脱却できたから、そろそろサブカルとかこじらせっていう類のイメージを脱却したいな☆」
ツイッターにこう書いたのは19歳のとき。一浪して慶応義塾大学総合政策学部に合格して、「テニスの王子様」サークルに入ったりした後のことだ(すぐに辞めたらしいが)。
そして20歳になると、ある意識が芽生えるようになる。(つづく)
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