『SHOGUN』から『イクサガミ』へ…世界で勝負できる時代に

『イクサガミ』の成功は偶然でも、一過性のブームでもない。これまで述べてきたように、その根底には、

(1)サムライを失業者として描いた社会的リアリティ
(2)ロード型サバイバルという世界共通のジャンル構造
(3)身体のリアリティを前面に出したアクション設計
(4)勝敗がカタルシスとして回収されない物語構造

 という明確な設計思想がある。そして、この思想が国内向けの文脈に閉じることなく、最初から世界市場を射程に収めていたことを示すために、もうひとつ参照すべき作品がある。それが、2024年のエミー賞で主要部門を席巻したドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』だ。

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 この作品は、日本の戦国時代を題材にしながらも、制作・脚本・演出の中核をハリウッド側が担い、日本史をグローバル市場向けに再構築することで成功を収めた。異文化としての日本を、圧倒的な完成度と物語の強度によって、理解可能な他者として提示する。その翻訳精度と演出力こそが、エミー賞という形で評価された最大の理由だろう。

Netflix Japan公式Xより

 一方で『イクサガミ』は、その成功を踏まえた次の段階に踏み込んでいる。本作は、日本の歴史や身体表現を「説明すべき異文化」として配置しない。むしろ、デスゲーム、ロードムービー、消耗型アクションといった、すでに世界的に共有されているジャンル文法の内部に、日本史そのものを組み込んでいる。翻訳された日本史ではなく、構造として機能する日本史。ここに、『SHOGUN』との決定的な差異がある。

 この差異は、制作の主導者のあり方にも表れている。『SHOGUN』が、真田広之という元祖アクションスターがプロデューサーとして関与し、日本文化とハリウッド制作の橋渡し役を担った作品だとすれば、『イクサガミ』は、岡田准一が主演・プロデューサー・アクションプランナーを兼ねることで、翻訳される前の身体そのものを、作品の信用として差し出す構造を選んだ。

『SHOGUN』は、日本史を世界に翻訳することで扉を押し開き、『イクサガミ』はその扉の先で、世界のジャンル文法の内部に日本史を打ち立てた。真田広之から岡田准一へと連なる「身体で信用を担保する」スター主導モデルは、日本のエンターテインメントが世界と対等に競争できる段階に入ったことを決定的に示している。

参照
※1 https://www.netflix.com/tudum/top10/tv-non-english?week=2025-11-16
※2 https://www.rottentomatoes.com/tv/last_samurai_standing/s01
※3 https://www.rogerebert.com/streaming/last-samurai-standing-netflix-tv-review-2025
※4 https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202502120000780.html
※5 https://www.youtube.com/watch?v=5AoV03dSExA
※6 https://www.youtube.com/watch?v=CI89NaGN12c

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