12月19日、Netflixシリーズ『イクサガミ』のシーズン2の制作決定が発表された。
本作は海外でも高く評価されており、北米最大級の映画・ドラマ批評家賞「クリティクス・チョイス・アワード」最優秀外国語シリーズ部門にノミネートされた。同アワードは、アカデミー賞やエミー賞の前哨戦とも位置づけられ、日本作品が同部門に選出されるのは今回が初となる。
北米メディアが「今年屈指のシリーズ」と絶賛
すでに本作は、数字の面で強い存在感を示していた。11月13日の配信開始直後からNetflixの週間グローバルTOP10(非英語シリーズ)にランクイン。11月17~23日の週には非英語TV部門1位を記録(※1)。日本国内でもNetflixの週間ランキングで首位を維持し、日本を含む11の国と地域で週間TOP10の最上位を獲得している。
批評面での評価も高い。12月13日時点で、Rotten Tomatoesの批評家スコアは驚異の100%を記録し(※2)、北米メディアでは「Netflix’s “Last Samurai Standing” is One of the Best Action Shows of the Year(『イクサガミ』は、今年屈指のアクションシリーズのひとつ)」と激賞された(※3)。
この成功は、単にサムライやデスゲーム人気に乗っかったものではない。本稿では、なぜこの作品がワールドワイドな人気を博したのかを、多角的に読み解いていく。
サムライを「失業者」として描いたリアリティ
『イクサガミ』の舞台は1878年、明治維新から約10年後。物語は、旧幕府側に属していた元武士たちが、急速に近代化する日本社会のなかで職と居場所を失っていく状況から始まる。帯刀は禁止され、禄は廃され、かつて社会を支配していたはずの武士階級は、一転して貧困と病にあえぐ存在へと転落していた。
岡田准一演じる主人公・嵯峨愁二郎もまた、剣の腕以外に生きる術を持たない元武士のひとり。そんな彼が家族を救うべく参加するのが、蠱毒と名付けられたサバイバル競争だ。京都から東京までの道程を舞台に、292人の参加者たちが木札を奪い合い、最後に辿り着いた者には莫大な賞金が与えられる。幕末デスゲームの幕開けだ。
本作が描くのは、家族を養う手段を失い、社会の変化に適応できなかった者たち。彼らは、忠義や名誉の象徴ではなく、暴力以外に換金手段を持たない、時代遅れの職業人として位置づけられる。この構図は、日本史に詳しくない海外視聴者にとっても理解しやすいはずだ。産業構造の転換やテクノロジーの進化によって、ある専門技能が一夜にして価値を失い、職を奪われるという不安や経験は、現代のグローバル社会で広く共有されているからだ。
『イカゲーム』以降のサバイバル作品が描いてきたのは、「資本主義の敗者たちが最後に差し出すものは、自分の命しかない」というモチーフだった。『イクサガミ』は、この枠組みを元・支配階級である武士に適用してみせる。サムライを日本固有のロマン記号としてではなく、封建制から近代への移行期に生まれた失業者の物語として描く。ここに、文化的背景を共有しない視聴者にも届いた理由がある。
