デビュー以来14戦中11戦でKO勝ちしたカーターは1963年には、マディソン・スクエア・ガーデンで開催される試合の常連となり、同年12月20日、ピッツバーグのシビック・アリーナで、ウェルター級チャンピオンのエミール・グリフィス(1938‒2013)とのノンタイトルマッチで1ラウンドTKO勝ち。
翌1964年12月14日には、フィラデルフィアのコンベンションホールで、ジョーイ・ジャーデロ(1930‒2008)とWBC世界ミドル級、WBA世界ミドル級チャンピオンをかけて15ラウンドを闘ったが、0‒3の判定で敗れる。その後は勝ったり負けたりを繰り返し、1965年末の世界ミドル級ランキングは第5位。まだまだ闘える現役ボクサーだった。しかし──。
殺人罪で逮捕
1966年6月17日午前2時30分ごろ、パターソンのバー「ラファイエット・バー・アンド・グリル」に2人組の男が押し入り、バーテンダーの男性と、客3人(男性2人、女性1人)を狙撃した。バーテンダーと男性客の1人は即死。女性客は1ヶ月後に病院で息絶え、もう1人の男性客はかろうじて一命を取り留めたものの頭部の傷が原因で片目を失明する大怪我を負う。
このとき、カーター(当時28歳)は友人のジョン・アーティス(同19歳)と近所のバー「ホットスポット」で酒を飲んでいた。店を出て車(ダッジ・ポラーラ)で自宅に戻ろうとしたのが2時40分。彼らは現場に急行していたパトカーに停車を求められ、事件に関する質問と車内の点検を受ける。身に覚えのない2人は当然のように事件との関与を否定したが、車内から護身用の32口径のピストル、12ゲージの散弾銃および銃弾が見つかった。
さらに、たまたま近所に住むアルフレッド・ベロとパトリシア・バレンタインの男女2人が、事件直後にラファイエット・バー・アンド・グリルから出てくるカーターとアーティスを目撃し、両者がそれぞれ手に銃を持っていたと証言した。これを受け、警察は2人を殺人罪で逮捕する。
しかし、後の調査で容疑者2人の車内から発見された弾丸は、犠牲者が撃たれた銅製の弾ではなく真鍮製であると判明。また、事件直後に2人を見たと証言したベロとバレンタインは常習の窃盗犯で、その夜も盗みのためパターソンの街を徘徊しており、犯行現場になった店のレジから金を盗む目的で中に入り無惨な遺体を見ただけだったとわかる。
彼らが偽の目撃証言を行ったのは、警察がかけていた有力な情報提供に対する1万5千ドルの報奨金欲しさで、取り調べで証言を撤回したものの、自分たちの窃盗罪を見逃してもらう代わりに、偽りの証言を貫くことを約束する警察との取引に応じていたことも明らかになった。
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