千葉市稲毛区で行列のできる平壌冷麺店を夫婦で営むムン・ヨンヒさん(34)は、北朝鮮のエリート階級出身だった。彼女は25歳の時、ひとりで脱北を果たし、その後韓国を経て日本で新たな生活を始めた。北朝鮮での暮らし、脱北の決断、そして日本での新たな人生について、彼女に詳しく話を聞いた。
公開処刑を目撃し「この国はおかしいんじゃないか」と疑問を抱く
ムンさんが北朝鮮に対する疑問を持ち始めたのは15歳の時だった。平壌に住んでいた彼女は、ある日「人民班長」から競技場に行くよう指示を受けた。そこで彼女は幼い頃に一緒にピアノを習っていた友人の母親が公開処刑されるのを目撃することになる。
「裁判といっても結論は決まっています。裁判官の役を演じている人がいて『北朝鮮の顔に泥を塗っている』とマイクで叫んだりして。審判を下す人が『死刑にする』と言ったら、みんなで『死刑にしろ!』と続くんです」とムンさんは当時の様子を語る。
その女性の罪は韓国のドラマをDVDにコピーして販売したことだった。軍隊の6人がライフルで30発の弾丸を撃ち込む瞬間、ムンさんは目を伏せた。「数日間眠れなかったし、その音は1週間以上も耳から離れませんでした」と振り返る。
この出来事をきっかけに、彼女は「この国はおかしいんじゃないか」と疑問を抱き始めた。皮肉にも彼女自身も「韓国のドラマを見ることは殺されるようなことなのかな」と興味を持ち、こっそりとドラマを見るようになった。
ムンさんが脱北を決意したのは25歳の時だった。大学卒業を間近に控えた彼女に、祖母が「今から脱北するんだ。一緒に行かない?」と誘ったのだ。当初は断ったものの、祖母が脱北に失敗し収容所に入れられた後の状態を見て心境が変わった。
「65キロあった体重が40キロしかなかったんですよ。再会した時に『誰……?』ってとまどいました」と語る。
脱北の過程は危険と隣り合わせだった。中国との国境にある鴨緑江を胸元まで水につかりながら渡り、48時間近く歩き続け、最終的には親切な中国人の助けを借りてブローカーと合流。3週間かけて中国を抜け出し、ラオスの韓国大使館に亡命することができた。
その後、韓国で暮らし始めたムンさんは、冷麺店をオープン。韓国で日本人の夫と出会い、現在は千葉県で平壌冷麺店「ソルヌン」を営んでいる。
「日本は優しい人が多いと思います。人情があってすごく温かい。『日本に来てよかった!』と毎日思っています」とムンさんは語る。
写真=佐藤亘/文藝春秋
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