小黒 軍事的合理性だけを純粋に考えれば、私も核保有の方向性に賛成です。ただし元官僚として、それを具体的にどのように「政策」として実現するのか、極めて悩ましいと感じます。そもそも日本は唯一の被爆国で、核保有を議論することすら憚られる雰囲気がある。憲法改正も必要かも。そんななかで政権がポリティカルキャピタル(政治的資本)を維持しながらどうハンドリングするのか。中韓をはじめとした各国からの批判もすさまじいでしょう。
「核」をめぐる議論のステップ
神保 「自国による核保有」は、あくまで最終段階の選択肢として議論の俎上には載せておくべきだと思います。しかし日本としてまず取り組むべきは、同盟による「核の傘」を確実に機能させるための制度づくりと実務の積み上げです。
24年7月、「拡大抑止に関する日米閣僚会合」が初めて開催され、12月には「日米政府間の拡大抑止に関するガイドライン」も締結されました。核戦略や核運用に関する日米協議を制度として深め、拡大抑止の信頼性をどう高めていくのかを具体的に詰めていく必要があります。
そのうえで、統合ミサイル防空の強化や、通常戦力による長距離打撃能力(先進的なスタンドオフ防衛)を組み合わせることが、抑止の全体像を支える鍵になります。
日本が独自の核武装を本格的に検討するような局面が来るとすれば、それは米国の核の傘が機能不全に陥ったときです。核武装という選択肢は、いわば抑止体系の最終段階に位置づけられるものであり、仮にそこに至るとしても、明確な手順と前提条件を踏んだうえで初めて議論されるべきものです。
小黒 高市政権では、安保関連三文書の来年末までの改定に際して、非核三原則の「持ち込ませず」を見直す議論を与党内で開始する報道も。議論のステップを踏むという意味では、「核共有(シェアリング)」(核保有国が自国の核兵器を同盟国の領土内に配備し、共同で運用する政策)についてはどう思いますか。
用田 「つなぎ」としてはあり得るかもしれません。ただ、核の使用は、最終的には自国のために自国の意思で判断するものですから、「核共有」はゴールにはなり得ない。
神保 「核共有」といえば、まず欧州NATOの枠組みが想起されます。ただし、この欧州型モデルは、日本の戦略環境とは必ずしも整合的ではありません。
22年、安倍元首相が「核共有の議論を進めるべきだ」と発信したことを受け、私も自民党の安全保障調査会に招かれました。その場で申し上げたのは、核共有は冷戦期の欧州で米国とNATO諸国が東側陣営との均衡を保つために設計した制度であり、日本にそのまま当てはめることは難しいという点です。日本の航空戦力や運用構想を踏まえれば、核・非核両用の戦闘機に米国の投下型核爆弾を搭載して運用するような作戦計画は現実的ではありません。
日本が優先すべきは、日米拡大抑止協議を通じて、有事における米国の核運用に関する意思決定プロセスに深く関与できる制度を整えることです。あわせて、北東アジアの戦略環境に適合したかたちで米国の核体制を維持し、抑止の信頼性を高める仕組みを構築することが不可欠です。「核共有」を“半核武装論”として情緒的に議論するのは、かえって日本の抑止の実効性を低下させかねません。
