高3のときに映画館で“運命的な出会い”
河合の俳優デビューのきっかけは、高校3年生だった2018年9月、東京にあるミニシアター・ポレポレ東中野へ山中瑶子監督が19歳のときに撮った映画第1作『あみこ』を観に行ったことだ。河合にとってはミニシアターに来るのも、自主制作映画を観るのも初めてだった。上映後には山中監督のほか、出演者で当時俳優で唯一の知り合いだった大下ヒロト、主演の春原愛良が登壇し、河合は「映画ってこんな若い人たちがこんな自由につくれるんだ!」とカルチャーショックを受けるとともに、エネルギーを感じたという(『ナミビアの砂漠』公式パンフレット、ハピネットファントム・スタジオ、2024年)。
ちょうどこのとき、劇場のロビーで河合を見かけ、彼女と映画を撮りたいと思った人がいた。フォトグラファーの芝山健太である。このあとSNSで彼女のアカウントを見つけた芝山は、さっそくダイレクトメッセージを送ってオファーする。これに対して河合はさすがに初対面の人と二人きりで会うのは怖かったので、高校の文化祭で会うことにし(先方も女性スタッフを連れてきた)、クラスでつくった演劇を観てもらった。芝山は《ユウミちゃんが体育館の中心を走る姿が美しくてずっと覚えている》と振り返る(『キネマ旬報』2024年9月号)。
こうして生まれたのが、河合の初めての映画出演作『よどみなく、やまない』(2019年)だった。これも自主制作映画で、当時、ごくかぎられた劇場で計4回上映されたのみというから、ささやかなデビューである。しかし、河合にとっては大きな一歩であった。
“これに人生を賭けるべきではないか”と決意
河合は小学生のころにヒップホップ系のダンススクールに通い、高校ではダンス部でリーダーとして活躍していた。ここから身体で表現することを仕事にしたいと思い始めた折、ミュージカル『コーラスライン』を観劇して、自分はこれに人生を賭けるべきではないかと決意、高校卒業後の進路も普通大学から演劇コースのある日本大学芸術学部(日芸)に変えた。
『あみこ』を観て衝撃を受けたのはその翌月で、さらに芝山監督から映画出演のオファーを受けたのだから、まさに運命的というしかない。彼女自身、すっかり「役者になれる!」と思い、再び『あみこ』を観に行くと山中監督に「いつか一緒に(映画を)できればうれしいです」と書いた手紙を渡したという。その夢は、それから5年ほどして『ナミビアの砂漠』(2024年)で実現した。
10代のときから独特のオーラを放っていたのだろう。日芸の同級生でやはりのちに俳優となる見上愛は入学直後、学内で見かけた河合の必要以上に人を寄せつけない一匹狼感に逆に引き寄せられ、勇気を出して友達になってほしいと声をかけたという(「日刊SPA!」2024年5月20日配信)。
河合はすでに高校在学中、事務所に所属しようと何社かに履歴書を送り、2018年12月にそのひとつ、鈍牛倶楽部の面接を受けて合格していた。面接では事務所の人が知るわけもない高校の英語の先生のモノマネを披露し、その度胸を買われたらしい。
鈍牛倶楽部は小林稔侍、光石研、オダギリジョーなど実力派俳優を擁するが、河合が入った当時、女性は西田尚美(現在はフリー)しかいなかった。彼女はそれについてはとくに気にならず、自分が埋もれてしまわないよう《少数精鋭で、きちんといい俳優さんが所属しているところに入りたかった》という(『ピクトアップ』2022年2月号)。


