一人息子を連れ、34歳で14歳年下のイタリア人夫と再婚

 さて、私と夫が国際結婚をしてから今年で24年になる。夫は、私が14歳でフランスとドイツを一人旅していた際に出会った(正確には私を家出娘と思い込んで心配で話しかけてきた)イタリア人の老人マルコの孫である。夫との結婚のきっかけは、マルコと文通を通して仲が良くなった母だ。

 私は17歳からフィレンツェで油絵と美術史を学んでいたが、この11年間に及ぶ留学は、同棲していた詩人との間にできた子供を未婚のまま出産し、その相手とも別れるというかたちでいったん終焉。順番が違うんじゃないの、子供ができたら結婚でしょう、と周りからは散々言われたが、私にしてみれば子供を健全に育てていくためにはこれ以外の選択はなかった。

 そもそも経済生産性のない詩人と絵描きでは、子供は育てられない。私は、絵描きとして日の目を見るのをひもじく待ちながら貧乏に喘ぐことになる家族を築くよりも、どんな仕事をしながらでも生まれたての赤ん坊を育てることを優先しただけである。

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フィレンツェ留学中、17歳の頃。

 自分にできることは全てやると覚悟を決め、日本で漫画だけでなく大学の講師、テレビの温泉リポーターなど何足ものわらじを履きながら息子のデルスを育てていた私に、イタリアのマルコの家族に会いに行かないかと母が言い出したのは、私がイタリアを去って4年が過ぎた頃だった。

1998年リポーター時代

 マルコは数年前に他界していたが、母は私がフィレンツェに住んでいたころから北イタリアに暮らすマルコの娘一家の家を毎年のように訪れ、ほとんど家族のような付き合いがその後も続いていた。娘一家は、母を通じて私の情報を聞いていたため、私のフィレンツェでの貧しい暮らしぶりから、出産と詩人との別れの経緯、日本に帰国後の奮闘まで全て知っていた。だから、私が娘一家に会うのは初めてだったが、旧知の仲のように歓迎され、6歳だったデルスも彼らの孫かなにかのように温かく迎え入れられた。

マルコ爺さんと母(中)の交流がヤマザキさんの結婚を導く。

 年末だったこともあり、イギリスに留学中だった20歳になるマルコの孫も帰省していた。それが私の夫となるベッピーノである。私も母を通じてベッピーノという変わった青年がいるという話は聞いていたが、会って話をしてみると、古代ローマとイスラム文化に詳しいオタクだった。34歳の私との年齢差は14歳、そしてデルスとの差も14歳。デルスとベッピーノはすぐに兄弟のように仲良くなった。