病院の集中治療室から国際電話で突然のプロポーズ
私とは三日三晩、ほとんど寝ずに古代ローマの歴史を語り尽くしたベッピーノは、私たちが日本へ帰国した直後に心筋炎を患って入院した。日本の私にかかってきた電話は、病院の集中治療室からだった。ベッピーノは息も絶え絶えに言った。今まで古代ローマについてこれほど深く話し合えた人はいない。お互いに交わす言葉や条件が全て良い触発となる、そんな人との出会いはもうないかもしれない。デルスともまだまだ遊び足りない……。
「なので結婚をしませんか。それぞれ暮らしている国は違うし、最初から一緒に暮らすのは難しいとしても、家族になりませんか。時々でいいから皆で会って、素晴らしい時間を過ごしませんか」
国際電話でいきなりそんなプロポーズをされ、「この人、大丈夫か!?」と驚きはしたものの、あまりに変わり者らしい提案でちょっと面白かった。
子供の頃から母に「結婚をするなら、自立して、自分ひとりでも生きていけるという自信がついたときにしなさい」と言われ続けてきたこともあり、詩人と一緒に暮らしていた時は、彼との結婚は考えたこともなかった。詩人との惨憺たる11年間で男の人との暮らしに懲り懲りしていたのは確かで、私はひとりで子育てをしながら悠々自適に生きていこうと決めていた。仕事もそこそこ充実していたし、とりあえず当時の自分の生き方には何ら問題はなかった。
しかし、ベッピーノからのそんな素っ頓狂なプロポーズを母に報告すると、「若気の至りだわねえ」と冷やかしつつも「せっかくだから、結婚してみたらいいじゃないの。なんでもやってみたらいいのよ。ダメならまたやり直せばいいだけ」とゲラゲラ笑った。
なるほど、と思った私とベッピーノは2001年10月31日、デルスの7歳の誕生日に、ベッピーノの当時の留学先であったエジプトのイタリア領事館で、彼の両親と証人である友人ひとり以外は誰もいない、いたって簡単な結婚式をした。私は34歳、ベッピーノは20歳だった。
※お互いに別の国で過ごした新婚時代や、『テルマエ・ロマエ』一巻発売時に生じた軋轢、国際結婚をしながら親の介護をする難しさなどについて語った記事全文は、『週刊文春WOMAN2026創刊7周年記念号』で読むことができます。
写真提供:ヤマザキマリ

