X子さんの遺族は主犯格Aの両親からの賠償金5000万円は受け取ったが、ほかの加害者からの賠償金は受け取りを拒否した。確かに日々の生活にも苦労したのはわかる。だが、一銭も残っていないとは。店の赤字にまわしたことを、悔やむ素振りすら見せない。
度々トラブルを起こし、長くて40日間の懲罰も
Bは川越少年刑務所、奈良少年刑務所、滋賀刑務所と3つの刑務所で8年間過ごした。逮捕・勾留された期間も含めると10年に及ぶ。Bは毎日写経し、母親から差し入れてもらったドストエフスキーの小説を読んでいたという。母親は2カ月に1回は面会を重ね、月に2、3通は手紙をやり取りしたと話す。
「面会したときのBは?」
「とても嬉しそうに……していました」
「どんな会話をしましたか?」
「刑務所に来る途中のこととかで終わっていたと思います」
面会では事件のことは一切触れなかったという。
「Bの様子は?」
「うーん、自分を弱く見せたくない感じの。本当は弱いんだけど、弱く見せたくないという生き方をしているなっていう感じはありました」
「どんなところで、ですか?」
「人がちょっかい出すことも、自分で受けて立つ。ここのなかでは、おとなしくしてなきゃいけないんだよ、と思うことも、挑発されるとそれに乗っちゃう」
Bは刑務所で度々トラブルを起こし、長くて40日間の懲罰を受けたこともあった。ほかの受刑者から挑発を受け、喧嘩や口論を起こしたのが原因だ。模範囚ではなかったため仮釈放とはならず、満期での出所となった。出所したときの所持金は15万円だった。
1999年8月3日に出所したとき、Bは28歳。人生の3分の1以上を獄中で過ごしたことになる。30度近い暑さのなか、母親が車で迎えに行った。Bは母親の姿を見ると子どものようにはしゃいだ。刑務所では成長を感じられた息子だが、このときは逮捕された17歳のころに戻ったようだった。喜ぶBとは対照的に、「どうやって社会復帰させようか」と母親の胸には不安が押し寄せていたという。母親は事件発覚の翌年には綾瀬から埼玉県内のマンションに引っ越していた。3歳上の姉はすでに結婚して家を出ていたため、母と息子の2人暮らしが始まる。
Bは服役中に簿記2級、第二種情報処理(現・基本情報技術者)、危険物取扱者の資格を取り、プログラミングを独学した。服役中も、綾瀬事件の弁護団の一人だった弁護士から、コンピューター関連の会社を紹介されていた。会社の社長は出所する前から「いつ帰ってくるんだ」と待っていてくれたという。
出所して半月後に本格的に仕事を始めた。サーバーの組み立てや設定・保守などを行う技術部に配属された。朝5時に起床し、黒く染めた髪を整え、スーツを来て出勤する日々。更生に向けて順調に新しい生活を始めた息子を母親は見守っていた。
「母親から見てBの仕事ぶりは?」
「すごく生きがいがあって、はい。元通りになったんだという安堵感はありました。そのときは。普通の年相応の男の人に見えました」