レンタルビデオ店から借りた綾瀬事件のビデオを鑑賞

 当時のBについて話す口調は明るい。時計の針は午後5時を過ぎていた。夏の日差しはいくぶんおさまり、畳には母親の小さな薄い影が映る。

「頑張っているように見えました?」

「はい。そうです」

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「彼としては、出てきたあとは、社会に溶け込んでまじめにやろうという意思があったんですか?」

「そうだと思います」

 月収は30万円で待遇は悪くなかったが、自宅にパソコンはなく、刑務所で取った資格と異なる仕事で苦労した。Bは皆勤を続けてきた会社を1年で辞めてしまう。そして新宿に事務所があるコンピューター派遣会社を自分で探してきて、プログラマーやシステムエンジニアとして働き始める。そこでは月収40万円をもらったときもあった。

「とても一生懸命やっていました。刑務所で習ってきた内容だけでは、自分の知識が足りなくて、自分なりに勉強していました。本を買って」

江東区若洲の遺棄現場周辺 ©文藝春秋 

 出所してすぐに、Bは足立区の都営団地に住む父親を突然訪ねている。父親は再婚した妻とのあいだに一男一女をもうけていた。異母弟は19歳、異母妹は13歳になっていた。

「父親の息子と、サーフィンをやるといって、それで、なんか、セットを買い込んできた記憶もあります。そうしたら、義理の弟が悪いことをしていたようだったので殴ってしまった。それで、結局その母親とうまくいかなくなったんですね」

 父親の家を訪ねて暴力を振るったことは確かなようだ。Bなりの正義感なのか、暴走なのか、わからない。

 休日は自宅で過ごすことが多かった。このころ、綾瀬事件の本を読んだり、事件を題材にしたビデオをレンタルビデオ店から借りてきて観たりしていたという。

「暇に飽かして自分の事件の本を読んだりしてましたから。ビデオも観ていますね。『内容は違うよ』とひとこと言っていましたけど」

一向に見えてこないBの「償い」

「息子さんは償いの意思はどうだったのですか?」

「刑務所から帰ってきてから、何回かは(遺棄現場の)若洲に行っていると思います。本人もあまり、言わないけど」

「何回くらい行っていましたか?」

「何回か、わかりませんけど……そんなような会話はしていました」

「どんな会話ですか?」

「ずいぶん変わっちゃってという言い方をしていた気がします」

「若洲で何をしたか話しました?」

「わかりません。そういう細かいこと、自分がしたことを言う子ではないので。いつも、自分の気持ちと違う、本当は優しいんですけど、それを出せない性格になっているという……」

「ご自身としては、どう償っていこうと? お金以外でどういうことを考えていましたか?」

「まあ、(被害者遺族は)住所も引っ越されちゃって、だから気持ちとしては、いつも、忘れることはできないですけど、何もできない状態」

「気持ちとしては?」

「気持ちとしては、いつも引きずって歩いています。一緒に。引きずるという言い方はないですけど」

 若洲に行ったのは何のためか。裁判で決意した「償い」のために何をしたのか。母親の話からはまったくわからなかった。

最初から記事を読む 「女子高校生コンクリ詰め殺人事件」準主犯格Bの母親が他人事のような口ぶりで語ったこと「ドラム缶という言葉も嫌ですし…」

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