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2階の窓から知人のボートで避難

 同じ地区に住む宮井澄尚(すみたか)さん(78)夫婦も、避難勧告を知りながら「そこまでの事態にはならないだろう」と避難を怠った。7日の朝、1階部分は水に埋まり、宮井さん夫婦は2階に取り残された。ベランダから必死に手を振り、自衛隊のヘリに救助を求めた。数時間後、知人がボートで駆けつけ、2階の窓から避難することができた。「まさかここまで水が来るとは思っていなかった。命の危機を感じた」という。


 近所に住む60代の女性も、浸水した自宅の前でこう語る。「ちょうど大雨の1週間前に福島に行ってきたんです。旅行することも復興支援になると思って。まさか自分が“被災者”になるなんて思ってませんでした」

 皆、揃って「まさか」と口にした。

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「教訓」にできているか

 突然の災難に見舞われ、どれだけ怖かったことか。どれだけショックを受けているか。話を伺ってその恐怖や不安に思いを馳せつつ、一方で、私の胸にも「悔しさ」が湧き上がるのを否定できなかった。

豪雨被害で泥に塗れた瓦礫。倉敷市真備町で。

 涙ながらに話す人々を責め立てるような資格が、私にないことはよく分かっている。それでも、福島で目にしてきた多くの方々の遺影が瞼に浮かび、胸の中で地団駄を踏む思いがした。あの人たちの命は一体何だったのか。何のためにその死が伝えられてきたのか、と。