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「 “まさか”は聞きたくない」西日本豪雨から1カ月、ある被災者の願い

「 “まさか”は聞きたくない」西日本豪雨から1カ月、ある被災者の願い

2018/08/09
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「まさか」「だろう」で命の危機に

 真備町の住宅街を歩いた。全域が浸水した川辺地区では、住民が汗を流しながら浸水した家の片付けに追われている。

 「もう本当にダメかと思いました」

 興奮気味にそう語るのは、この地区に住む丸畑孝治さん(59)だ。

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 記録的な大雨が降り続いていた7月6日、丸畑さんは自宅にいた。かつて氾濫したこともある小田川も近いが、避難することなど微塵も考えず、対策らしきことは「何一つしていなかった」。夕方頃、川の氾濫を恐れた息子の裕介さん(36)がやってきて避難を促したが、「考え過ぎだ」と笑い飛ばした。

 その日の夜、地区に避難勧告が出た。避難を呼びかける防災無線は丸畑さんの耳にも届いていたが、「そこまでする必要はないだろう」と自宅に残った。

浸水した丸畑さんの自宅。息子・裕介さんが消毒用の石灰を撒いていた。

目覚めた時には自宅前の道が川のように 

 「川は近いけど、これまで大きな水害はなかったんです。だから今回も大丈夫だろうって、根拠もないのに思い込んでいました。まさかここまでの水量だとは思っていなくて」

 翌朝起きると、自宅前の道は川のようになっていた。再びやってきた裕介さんが避難を急かしたが、それでも「家財道具を2階に」と避難を後回しにした。避難を巡って息子と言い合う30分足らずのうちに、水は床上まで上がってきた。丸畑さんは胸まで水に浸かり、泳ぐようにして近くの堤防へ逃れた。

「胸まで水に浸かった」と語る丸畑孝治さん。

 「その時初めて、死ぬかもと思いました。もう少し避難が遅れていたら、本当に死んでいたと思います。私は年齢のせいか頑固で、息子の忠告を素直に受け止められずにいたんです。東日本の震災とかはニュースで見ていたけど全く他人事で、自宅に届く防災マップも読まずに捨ててました。今は反省しています」