避難所の小学校は鍵がなくて入れず…
輪島市中心部は震度6強。市内では震度7を観測した地区もあった。
それから2分後、気象庁は能登地方に「津波警報」を出す。さらにその10分後に「大津波警報」へ切り換えた。市のハザードマップでは最大8.3mの津波が想定されていて、海岸埋立地のすぐ横にある日吉酒造店も呑み込まれる恐れがあった。
日吉さんは東日本大震災の津波の映像を思い出した。父母をせき立て、近所の高齡者も誘って、500mほど離れた小学校へ急いだ。途中で7階建てのビルが倒壊していて、家屋も軒並み潰れていた。
日没は発災から35分後。寒さで凍みる。急ぐがあまりに厚手の服も着ていなかった両親のため、日吉さんは一度自宅へ戻った。
小学校は市の津波避難所になっていたが、鍵がなく屋内に入れなかった。しかも、標高は5mしかない。「津波が来たらここも厳しいかも」と考えていた時、知人から標高約50mの地点にある航空自衛隊の輪島分屯基地に逃げたと連絡があった。合流を決め、1kmほど離れた分屯基地へ家族で歩いた。
到着してすぐ、「本町で火が出た」と聞いた。日吉酒造店のある地区だ。赤くなっているのが見えたが、火元とされている場所からは200~300mほど離れていた。「嫌だな」と思いながらも、「うちまでは燃えないだろう」と考えた。
「火事が消えない」「どんどん酷くなっている」
防衛施設の分屯基地では建物に入れてもらえなかった。寒くてたまらない。すぐ近くにある中学校体育館が「開いている」と聞き、また歩いて移動した。
体育館では「火事が消えない」「どんどん酷くなっている」と話題になっていた。午後10時頃には「日吉酒造店も危ない」と言われた。日吉さんは母親と一緒に自宅へ向かう。
それまでに父親が車を1台持ち出していた。途中で転倒して手をガラスで切ったらしく、車内が血だらけになっていた。車で自宅の近くに到着すると、火柱が立っているのが見えた。燃え移るのは時間の問題だ。消防団員に尋ねると「まだ大丈夫」と言ったので、金庫の現金や仏壇の過去帳などを車に積み込んだ。
中学校の体育館はガラスが割れていて風が吹き込んだ。「屋外とあまり変わらない寒さでした」と日吉さんは振り返る。配られた毛布にくるまり、家族で固まって朝を迎えた。
大火が鎮圧状態になったのは1月2日午前7時半だ。焼失面積は約5万平方m。約240棟が焼けた。津波は地盤が隆起したせいか、市中心部に被害はなかった。
日吉酒造店はなんと焼け残っていた。道路を隔てた向かいで奇跡のように火が止まったのだ。そちら側に建っていた倉庫は焼失したが、店や蔵、自宅は燃えなかった。
「夜中の3時ぐらいに風向きが変わり、ここで食い止めようという話になった」と消防団員から聞いた。




