できるけれど、体力や気力を消耗することをやるのが「頑張る」。多くのことは消耗すればできるが、できるだけ消耗は避けたい。さらに、自分に適性がなく、どれだけエネルギーを使ってもうまくいかないことに関しては、それを「頑張る」とは呼ばない。「耐える」あるいは「苦行」として処理する。

 わかる、わかる。phaさんにとって「頑張る」は、限られたエネルギーをどこに使うかを慎重に見極める選択なのだろう。

「頑張れない自分」を責めてしまう人へ

 仕事でもプライベートでも、負荷の強い自己犠牲を「頑張る」とは定義しないほうがよい。24時間のうち8時間は睡眠や入浴などに時間が割かれ、仕事の時間は一般的に8時間とされている。つまり、「頑張る」が苦行ならば、起きている時間16時間のうち半分が苦痛な時間になってしまう。

ADVERTISEMENT

 そんなことになったら、生きること自体が困難になってしまうではないか。性格的に合わないパートナーに合わせていたら、プライベートでも我慢を強いられることになる。起きている時間はずっと苦行。この手の頑張りは無用だ。

イラスト:kedamasugoine

 頑張れない自分を責める人にまず勧めたいのは、「頑張る」の定義を変えること。次に、夢に向かって頑張っているほうが尊いという認識を捨てることだ。夢や、目標や、成長意欲があると、確かに褒められる。しかし、生きていく上でそれらが絶対に必要だとは、私は到底思えない。

 私には夢などひとつもないけれど、困ったことは一度もない。夢がないからつまらないと思ったこともない。どうしてもやりたくないことはなにかを見極め、それをやらずに生きていくために働いてきた。それで充分だ。「やりたくないことはやらない」という強い信念だけで。

 仕事が苦手な自分を責める人がいる一方で、具体的になにが苦手なのかわかっている人は少ない。人間関係? 責任? 期待? やりたくないことをしているから?

 仕事を丸っと毛嫌いする前に、まずはなにが苦手なのかを言語化したほうが気楽になる。なにを避ければよいかわかるからだ。