私の場合、誰かの振りつけで踊ること(もちろん比喩だ)、テレビ出演や動画配信を主戦場にすること(誰かの振り付けで踊りたくないのと、無意識に目をパチパチさせたり鼻を掻いたりする癖があるから)、コメンテーターとして世相を斬ること、女性代表のような意見を述べること、などがやりたくない仕事だ。

 テレビ出演に関しては、書籍の販売促進に十分な効果があると判断した場合や、制作者との信頼関係がある時には稀に受けるようにしている。「出るのがイヤ」より「ひとりでも多くの人に本が出ていることを知ってほしい」のほうが強い場合のみオファーを受ける。かなり不遜ではあるが、それらの仕事を受けずとも食べていけるように、普段はほかの仕事を頑張っている。

「できない」の中身を仕分けていく

 しかし、ここにまた新しい問題が出てくる。「私はできない」の思い込みが強いと、ほとんどのことが無理難題の苦行になってしまうのだ。

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 仕事ではないが、私の場合は運動がそれだった。学校で習う運動、たとえば走ることなどが苦手だったため、私のなかで運動は長いあいだ嫌いなこと、無理難題の苦行だった。できる限り避けてきた。

 しかし30代に入り、友人の勧めもあって軽い気持ちで入会したボクシングジムで、私は「殴る」ならまあまあうまくできることを知った。そこから筋トレに出会い、「重いものを持ちあげる」も、不得手ではないと知った。どちらも、まごうことなき運動である。運動にもいろいろあるという、至極当然のことにようやくたどり着いたのだ。調子に乗ってヨガにも手を出したが、これは「できなくはないが、楽しくはない運動」だった。

「やりたくない」や「嫌い」のなかには、できることもある。できることのなかには、「やってみたら楽しかった」と「やれなくはないが、やりたくはない」がある。だから「苦手」や「嫌い」の箱に入っているものを、一度精査したほうがいい。自分のポテンシャルを自ら潰さないために。

 そうしないと、苦労なくできることだけを選んでいくことになる。すると「楽」ではあるが「楽しい」からは遠のく。

※「楽」と「楽しい」の違いや、失敗を経て自信をつける方法など、ジェーン・スーさんの仕事術が詰まった記事全文は『週刊文春WOMAN2026創刊7周年記念号』で読むことができます。

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