「スズメと記者の死に場所はわからない」。そんな言葉の残る新聞社で育った。スズメも記者もうるさく群がって騒がしいが、いつの間にか消えてしまう。駆け出し時代の上司は、「だから、お前はスズメのように死ぬなよ」と付け加えた。
記者にとどまらず、われら無名人はどこに行ったのかわからないまま消えていく。だがその中には、消えた先まで追いかけて、この世にその生き方を書き残したい人がいる。
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消えた後になって知った山下哲治の愛妻物語
私にとってその1人は、今年4月に71歳で亡くなった元巨人軍スカウト部長の山下哲治だった。川相昌弘に始まって二岡智宏、坂本勇人、長野久義、岡本和真ら巨人を支える選手を獲っただけでなく、私と組んで育成選手制度を先導した仕事人である。「鬼瓦」の異名を取ったこの含羞の人の一端を、私は『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(文藝春秋)に記したが、最期の姿を書き洩らしてしまった。以下は、消えた後になって知った彼の愛妻物語――つまり戦記異聞である。
「笑え。もっと笑え」
胃がんの再発がわかった後、2人はたくさんの夫婦写真を撮った。撮ってもらったり、自撮りをしたり、そのたびに、山下は妻のゆう子にささやきかけた。
「笑った写真をたくさん遺すんや」
本人も痛みに耐えて笑っていた。2人暮らしだった。苦しい顔を遺したら、後でひとり眺めるお前が可哀そうや、というのである。その言葉に悲痛な響きを嗅ぎ取って、ゆう子は胸がいっぱいになった。
山下夫婦は昨年9月、「1年を目標に頑張りましょう」と主治医から告げられていた。182センチ、96キロの大男がやせ細っていた。彼は「余命は1年」と思い込もうとしていたが、詳細な説明を受けた妻はわかっていた。あと数か月で別れがくるのだ。ゆう子は涙が止まらなかった。「しっかりせえ」。夫がバーンと背中を張った。
