廣池家側とのトラブル

 話をまとめるとこうだ。恒憲王の長女の賀陽美智子氏(旧名美智子女王・09年に死去)は1943年、公爵家の陸軍中尉と結婚し降嫁するも、離婚。夫婦には子供がおらず、晩年、独り身の美智子氏の面倒をみていたのが、齢の近い廣池みどり氏(仮名)だった。美智子氏は死去の3年前、みどり氏と養子縁組。そして22年6月、みどり氏と養子縁組したのが健氏だった。みどり氏はその半年後に体調を崩し、急逝した。

 前出の関係者が語る。

「廣池家では、みどりさんの姿を見かけなくなったことから戸籍を確認して、初めて死亡届が出ていることを知ったそうです。その後、健氏と廣池家は、廣池家がみどりさんに渡していた生活費や、彼女が住んでいた廣池家所有のビルへの居住をめぐりトラブルに発展。廣池家側が警察を呼んだこともある」

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学習院で愛子さまとすれ違い

 当主も知らぬ間に賀陽家の一員となっていた健氏。だが、当主である正憲氏が“賀陽をかたってあちこちに顔を出している”と断じた事実は重い。その目的は何なのか。電話で直撃すると、1時間超にわたって鷹揚な調子で取材に応じた。

――永田町で陳情をしているそうだが。

「いえいえ、陳情というか。先生方に違った光を届けているというだけです。年初は大臣含めて、ほとんどご挨拶に」

――ビジネスもやっている?

「特に役員とかいうわけではないんですが、ある会社を株主として応援していたりはしていますけれど。今後は財団の立ち上げとか、芸能の事業など、動いていることはありますよ」

 賀陽家との関係を聞くと、

「美智子さんの祭祀、お墓を継承しているのが私。当主の2人息子の関係でよく(賀陽家の)名前が出ますが、実はもう一人いたということなんですね。愛子が天皇になった場合、(正憲氏の息子と結婚すれば)私は天皇の義理の親族の立場になりますから。(賀陽家側が)認識していなかったとしても、枠組みの中では同じ賀陽なわけです」

愛子さまとも“ニアミス”

 実は愛子さまにも“接近”していたという。

「学習院(大学)によく行っていたのですが、そこで一度すれ違ったことがある。全然オーラないなと思っちゃった」