けれども、そこで式を主宰する人物は、正式な神父や牧師というわけではない。皆、アルバイトである。私が以前大学で教えていたときに、結婚式場でアルバイトをしている学生がいた。その学生が言うには、主宰する役をしている人間の中に元牧師がいたという。教会では生活できなかったのかもしれない。その点ではややこしいところもあるが、そうした結婚式場での結婚式はあくまで「キリスト教風」であり、宗教はかかわっていない。
それに対して、イオンライフが紹介してくれるのは、皆、それぞれの宗派から正式に認められた僧侶である。私は、そうした僧侶たちの集まりで講演したことがあるが、真面目な人たちが多かった。寺が経済的に苦しかったり、在家出身で住職になれないような僧侶たちである。その点で、仏教風の葬式ではなく、まぎれもなく仏教式の葬式である。
その点に問題はないのだが、そうした形でイオンライフから紹介してもらった僧侶との関係は、基本的に葬式のときだけのものである。四十九日などの法要も依頼できるとされてはいるが、依頼する家は少ないだろう。まして、一周忌以降のことは、イオンライフのサイトにはふれられてもいない。その需要がないからだろう。
こちらは、イオンとは関係がないが、一時、アマゾン(amazon.com)での「お坊さん便」が話題になったことがあった。アマゾンのサイトから申し込めば、葬式に僧侶が来てくれるサービスである。
これに対しては、仏教界からの反発が大きかった。「宗教行為を商品化している」というわけである。果たして仏教界に、そんなことを言う資格があるのかということにもなるが、そうしたこともあり、アマゾンでのサービスは2019年10月をもって終了した。
しかし、お坊さん便の運営会社は、「よりそうお坊さん便」という形でサービスを継続しており、ネットから申し込むことができる。布施は、やはり葬式の形式によって異なるようだが、火葬式では3万5000円で、2回目以降の法要は5万円であるという。
僧侶を葬式に呼ぶことに意味はあるのか
仏教に対する明確な信仰があり、追善という考え方を受け入れ、それが必要だと考えているのならば、こうした形で僧侶を葬式に呼ぶことに意味はあるだろう。
しかし、そうした信仰もなく、追善などということについては、その意味からしてまったくわかっていないということであるなら、僧侶を葬式の導師に呼ぶ意味はない。
戒名についても、仏教界では仏弟子になった証であり、そこに意義があるとするが、究極的には檀家になった証であり、檀家にならないのであれば、それを授かる実際的な意味はない。
檀家であることに意味があるのは、檀家の組織が地域共同体と重なっているときである。その地域の住民が、皆、ある特定の檀那寺と寺檀関係を結んでいるのならば、地域で寺を守っている形になる。その寺の住職は、すでに述べたように、何かあれば、地域の人々の相談に乗ってくれる。僧侶は、地域の利害から離れた立場にあり、だからこそ客観的に問題を考えられるからだ。
しかし、都会になれば、檀家組織が地域と重なることはほとんどない。その点で、檀家というあり方は、そもそも都市にはなじまない。都市化が進み、都市に住む人間が増えてくれば、檀家になることに意味は見出せなくなっていく。日本の社会は、その方向に進んできたわけで、檀家離れ、仏教離れが進むのも必然的なことである。
