私は原稿のすべてが手書き

 音読以外に、何が認知機能の低下を防げるか。その具体策も教わった。

 ここで「ちょっとのストレス」という言葉がまた出たのである。「ちょっとラク」な方を選んでいると、人間は老化して脳機能がどんどん落ちていくそうだ。

「ちょっとの苦労」「ちょっとのストレス」をかけることについては、指先を使うことが大切だという。たとえば刺繍とか編み物、楽器演奏や料理はすごくいい。包丁を使うと脳はバンバン働くが、ピーラーで皮をむいてもあまり働かない。確かに包丁の方が「ちょっとのストレス」だ。とはいえ、無目的に指先を動かしても、脳はまったく働かないという。何かを作るという、クリエーティブな目的で指先を動かす。それが脳の訓練になる。よく「ボケ防止」と言ってクルミを掌で転がしている人がいるが、あれはあまり働かない。

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 私はその時、ハタと気づいた。もしかしたら私はずっと前頭前野にいいことをやり続けて来たのではないかと。

 私は原稿のすべてが手書きなのである。原稿用紙に6Bの鉛筆、消しゴム。NHKの大河ドラマや連続テレビ小説など、何千枚でも手で書く。川島教授は、

「ずっと脳のトレーニングをしてきたことになるわけです。毎日水泳とかジョギングをしていたのと同じですよね」

 と感嘆して下さった。

内館牧子さん ©文藝春秋

 あれから約20年。周囲の手書き派は激減した。だが、私はデビュー当時から手書き原稿をファックスで送って、すでに35年。パソコンは持っていない。これは単純に好き嫌いの問題である。私はキーボードに触れると文字が「出てくる」のがどうも好きになれない。頭と同時に手が動いて文字にする。好きでそうしていることが「ちょっとのストレス」になり、認知機能を劣化させないなら、何と幸せか。

 とはいえ、今や編集者も記者も手書き原稿を読むことは稀だろう。今月号から始まった本連載、もちろん手書きだ。担当編集者にとって、読むのは「ちょっとのストレス」を越えていようが、なーに、前頭前野のいい訓練である。

※内館牧子さんの連載「ムーンサルトは寝て待て」は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」で全記事を公開中です。

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