「推し活」は自分が主人公ではない
「自分が主人公ではないので。『推し活』をやっている自分が主人公じゃないんです」
「推し活」は自分が主人公ではない──。
その言葉に、思わずはっとさせられる。「推し活」という言葉には「活動」を意味する「活」の字が含まれているから、あたかも消費者側に決定権が委ねられているような印象を抱きやすい。消費者側は“自分の意思で”金銭や時間や労力を差し出している、と感じているだろう。あくまで自発的にやっていることだ、と。なかには「もっと金を使わせてくれ」と言うファンもいるくらいだ。
それはたしかに事実だが、その好意を当て込んだ運営側が、より消費者に負担を強いるようなしくみを構築し、そこに消費者がみずから突き進んでいくよう仕向けられているようにも感じられる。合意形成とも強制とも言いきれないような、きわめて特殊な搾取構造があるのではないかと気づかされる。それを、「推し活」という口当たりのいい言葉が隠蔽しているのではないか。ただ少なくとも消費者側には、被害者意識はない。
「推し活」をしている人のなかには、「『推し活』をがんばる」と表現する者も多い。「“引っ張られている”感覚」でライブに行き、多額の金銭を「喜捨」のように浪費する【サナ】の場合は、どのような意識を持っているのだろうか。
推しからは「都合がいい」と思われたい
「最近は昇格して給料も増えたので、余裕は出てきたし、がんばっているという意識はないですけど……、私って健気だな、とふとした瞬間に思うことはあります(笑)」
それは運営側にとってあまりに都合がよすぎる客ではないか。だが、彼女は言う。
「『推し』からは、いい子だな、って思ってもらいたい。そう思ってもらえたら、これ以上の幸せはないですね。『都合がいい』と思ってほしいです」
現在、【サナ】は異性のパートナーと同棲生活を送っている。性嫌悪を自認している彼女からすれば劇的な変化だ。それまでは「ステージ上の人しか好きになれないんじゃないかな」とまで考えていたのだから。
「昔からSNSで相互フォローしていた人です。ファン同士のオフ会でしゃべったり、通話したりしてきた仲なので、感覚としては『異性として出会う』ような始まり方じゃなかったんですね。“男の人”というジャンルというか、垣根を飛び越えると大丈夫みたいで。もちろん異性としても好きですけど、それよりも一緒にいて楽しい大切な友だち、という気持ちです」