「好きなものを応援する」ポジティブな言葉として使われることが多い「推し」。だが、学生のささやかな「推し」と、身を滅ぼすほどの金銭や時間を投じる「推し」は、少なくとも言葉のうえでは地続きだ。

 かつて、若くして急逝したミュージシャンの後を追い、自殺を図った過去を持つ【サナ】(仮名・20代中盤)。一命を取り留めた彼女はいま、あるヴィジュアル系バンドへの「推し活」に身を投じている。

 中学生の頃から“性嫌悪”を自認し、「シンプルに男の人が苦手」だったという彼女。そんな彼女が、なぜステージ上の異性だけは好きでいられたのか。以下、『「推し」という病』(文春新書)より抜粋して紹介する。(全3回中の3回目/最初から読む

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写真はイメージ ©︎Trickster/イメージマート

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雷に打たれたように好きになってしまう

【サナ】は「推し」を神聖視する傾向がある。それが悪いわけではないが、彼女の場合は後追い自殺を図った前例がある。たとえば「二推し、三推しをつくる」ことで、ひとりの対象に入れ込みすぎないようにリスクをヘッジできないものだろうか。

「何か趣味がほしいな、と思って探し当てたものじゃなくて、いきなりバンッて自分の心に入ってきたものなので、分散するとか代わりを探すのは難しい……ですね」

 もともとは雷に打たれたように、“啓示”を受けたように好きになってしまったものだ。だから、同じような体験がなければ、あらたに「推し」はつくれない。彼女の言葉には、不思議な説得力がある。しかし、「好きだから行く」だけでは説明がつかない時もある。

「引っ張られている感覚」でライブに行く

「ライブは好きだから行ってるんですけど、でもなんか、自分の意思で行ってるというよりは、何かの力に動かされて行かされてる……という、“引っ張られている”感覚はあります。行く以外の選択肢がないだろう、って思うんです。だから、めっちゃ義務感で行くときもありますよ。今日もこれからライブなんですけど、正直、行くのもだるい(笑)。行けば楽しいのはわかっているんですけどね。だけど行くのはめんどくさい。ライブ中に夢中で頭を振っている時にも、『このあと帰りの電車1時間かかるなぁ』なんて考えてることもあります」

 自分の意思とは別の力に突き動かされ、それに抗うことができない。「どうして」と思うほど、お金を、時間を費やし、自分の人生設計を犠牲にする。刹那的ともいえる行動原理は、「推し活」をしない人にはなかなか理解しづらい。