眞子さまが初めて「国民」になるとき
また、皇族は生まれながらにして皇族であり、職業選択の自由も制限される。皇族の身分を離れることは容易ではなく、皇室典範に規程がある。皇室典範の条文を見てみると、第11条で「年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」とある。皇室会議を経なければ自由に皇族の身分を離れることもできない。なお、第12条で「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とあって、女性皇族は民間人と結婚すれば自動的に皇族の身分から離れることになる。ここでは、結婚すれば強制的に皇族の身分から離れることが求められているのである。それによって皇統譜から記載が削除され、一般の国民として名前が戸籍に記される。ここで「国民」となるのである。
天皇陛下が二人の結婚を認める「裁可」という不思議な言葉
もともと、昨年9月3日の婚約内定の時にも、不思議な言葉がメディアを飛び交った。「3日午前、天皇陛下が二人の結婚を認める『裁可』を行い」という言葉である(「朝日新聞」2017年9月4日など)。この「裁可」とは何だろうか。辞書的に言えば、「君主(天皇)が臣下が持ってきた議案などを裁決し、判断すること」を指す。戦前、大日本帝国憲法下において天皇は国の「元首」で「統治権ヲ総攬」する立場にあったため、議会で審議された法案や予算案を「裁可」し、それによって法律などは成立することになる。このように、国の方向性を決める重要な政策決定事項は、形式上でも天皇の「裁可」=許可という判断がなければ効力を持たなかった。それだけ、戦前の天皇の権限は強かったことを示している。
“戦後になりきれていない”平成の皇室
今回、秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの婚約にも、天皇の「裁可」という形式が採られた。つまり、皇族の家長でもある天皇が結婚を許さなければ、その結婚は認められないという構造になっている。しかし、現在の天皇は「象徴」であり、戦前のように「元首」ではない。天皇には先に述べたような権限はないはずである。ところが、「裁可」という戦前以来の形式を採ってしまえば、孫娘にあたる眞子内親王の結婚も、戦前の法律などを決めるのと同じ位相(国の方向性を決める重要な政策決定事項と同じ?)に置かれてしまうことになる。
現在の日本社会において、制度上、家長の許可無くしては結婚が認められない、ということもないだろう。それだけに、天皇の「裁可」=許可が必要であったという事実は、自分の意思だけでは自由に結婚できないという眞子内親王の存在を浮き彫りにしたと言える。ここは戦後になりきれていないのである。