1971年12月24日に発生した新宿クリスマスツリー爆弾事件。過激派「黒ヘルグループ」のメンバーとして指名手配された俳優・梶原譲二を父に持ち、家族で逃亡生活を余儀なくされた脚本家の梶原阿貴さん(52)。その出自を記した『爆弾犯の娘』(ブックマン社)が話題となっている。

脚本家の梶原阿貴さん ©山元茂樹/文藝春秋

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逃亡生活中、母子家庭を装って生活していた

 梶原さんは家族の謎のルールについて「『犬のおまわりさん』を歌ってはいけない」というものがあったと語る。「国家権力の犬の歌だから歌っちゃいけないと言うんですが、そんな歌じゃないですよね(笑)。いい歌なのに」。元号の使用も禁止されていたため、「いまだに令和が何年なのか、確定申告のたびにわからなくなります」と苦笑する。

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 逃亡生活中、母子家庭を装って生活していた梶原家。友人を家に呼べないことに罪悪感を抱いていたという梶原さんだが、40年ぶりに再会した母の友人からは「あの部屋、やっぱり変だと思ってたわよ」と言われたという。

 

「『この人さえいなければ』と思っていました」指名手配犯の父親への複雑な想い

 1985年12月、梶原さんが小学6年生のとき、父親は警視庁に出頭する。その直前の数ヶ月間、運動会を見に来たり家族で登山に行ったりと、急に外出するようになったという。「後で母に聞いたら、私との思い出が全くなかったから、最後に思い出を作りたかったそうです」と梶原さんは語る。

 しかし、その「思い出づくり」は「迷惑でした。思春期だったというのもありますが、急にたくさんのイベントを組まれても、『あいつと出かけても何も楽しくないし、余計なことをしてくれるな』と思っていました」と当時の複雑な心境を吐露する。

 家にいる父親について「邪魔でしたね。『この人さえいなければ』と思っていました」と率直に語る梶原さん。「母の商売はうまくいっているし、父は陰気で面白いことをひとつも言わない。私と母でせっせと餃子を100個作ったら、ほとんど一人で食べてしまう。本気で『いない方がいい』って」。

母親から「お父さんはね、役者で爆弾犯なの」と打ち明けられ…

 出頭の少し前、母親から「お父さんはね、役者で爆弾犯なの」と打ち明けられた時の心境については「腑に落ちた感じでした。『合点がいった』というか。それまで抱いていた違和感のすべてが、それで説明できた気がしたんです」と振り返る。

 実は、父親は「黒ヘル」のメンバーとして活動しながらも、テレビドラマに出演していたという。「『特別機動捜査隊』という警視庁推薦のドラマに、刑事役か何かで出ていたみたいで」と梶原さんは語る。

 今では出自を公表することで「この本をきっかけに、40年ぶりに連絡をくれた旧友もいた」と前向きな変化もあったという。父親に対する現在の心境については「もう年寄りですし、『しょうがないな』って感じですね。この本を出したことで、自分の中でも区切りがついたのかもしれません」と語った。

父・梶原譲二は俳優として活動していた(右から2番目)。3番目が蟹江敬三(写真提供=ブックマン社)

撮影=山元茂樹/文藝春秋

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