1971年12月24日に新宿伊勢丹前の交番が爆破された、新宿クリスマスツリー爆弾事件。同事件を筆頭に数々の爆破事件などを実行した過激派「黒ヘルグループ」のメンバーとして指名手配された俳優・梶原譲二を父に持ち、家族で逃亡生活を余儀なくされた脚本家の梶原阿貴(52)。

 その出自を記した『爆弾犯の娘』(ブックマン社)が話題を呼んでいる彼女に、逃亡生活を送る中で守られていた家族の謎ルール、家族旅行中に巻き込まれた殺人事件、娘の中学進学を前にした父親の出頭などについて、話を聞いた。(全4回の3回目/4回目に続く

脚本家の梶原阿貴さん ©山元茂樹/文藝春秋

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「犬のおまわりさんを歌ってはいけない」「元号を使ってはいけない」梶原家にあった“謎ルール”

――ご家庭には様々な「掟」があったそうですが、今思い返してみても謎だったルールは何ですか。

梶原阿貴さん(以下、梶原) 「犬のおまわりさん」を歌ってはいけない、ですね。日の丸を見てはいけないとか、君が代を歌ってはいけないというのは、当時の左翼的な思想からすれば理解できる部分もあります。

 でも、「犬のおまわりさん」はさすがに行き過ぎだなと。「国家権力の犬の歌だから歌っちゃいけない」と言うんですが、そんな歌じゃないですよね(笑)。いい歌なのに。

――元号を使うのも禁止されていたとか。

梶原 そのせいで、いまだに令和が何年なのか、確定申告のたびにわからなくなります。先日、母から「昭和・平成・令和」と書かれたチロルチョコが送られてきたんです。昭和はクリームソーダ味、平成はティラミス味、令和はマリトッツォ味。それぞれの時代に流行ったスイーツの味が入ったチロルチョコ。

 あんだけ元号を禁止しておいて、これはどういうことかと問いただしたら、「え? おいしいからいいじゃん」って(笑)。

 

――いちおう、お母様は国家権力に対してメラメラしていたことは確かだったわけですか?

梶原 というより、人権意識の問題だと思います。人に上下関係があったり、差別したりするのはおかしい、というごく普通の感覚です。

 クラスにいた在日コリアンの子がみんなからいじめられているのが許せなかったとか、そういう正義感が強い人でした。知らない人でも、差別的な発言をしていたら躊躇することなく注意するような人です。