1971年12月24日に新宿伊勢丹前の交番が爆破された、新宿クリスマスツリー爆弾事件。同事件を筆頭に数々の爆破事件などを実行した過激派「黒ヘルグループ」のメンバーとして指名手配された俳優・梶原譲二を父に持ち、家族で逃亡生活を余儀なくされた脚本家の梶原阿貴(52)。
その出自を記した『爆弾犯の娘』(ブックマン社)が話題を呼んでいる彼女に、普通の家庭を装うために借りていたアパート、逃亡生活を送った80年代の池袋のヘビーな環境、家に潜んでいた父の様子などについて、話を聞いた。(全4回の2回目/3回目に続く)
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住んでいる家とは別に、「家」という設定のアパートを借りていた
――友だちを呼んでの誕生日会や先生の家庭訪問は、「家」という設定のアパートを別に借りて対処していたそうですね。
梶原阿貴さん(以下、梶原) 母は手芸店をやっていたのですが、その上の空き部屋を借りて、事務所兼自宅ということにしていました。そこに住民票を置いておけば、いくら引っ越しても転校しなくて済みますから。学区が変わるたびに転校するのはかわいそうだという母の配慮でした。でもそのアパートは「家」設定なのに、生活感が全くないんですよ。
――ただの空き部屋みたいな。
梶原 まさにそんな感じです。私が誕生日会を開いてほしくて母に頼むと、そこで開いてくれるんですが、来た友達はみんな「え、何ここ? なんもないじゃん」って怪訝な顔でキョロキョロしていました。テレビもタンスも、もしかしたらカーテンすらなかったかもしれない。
「トイレで用を足しても水を流しませんでした」父親は近所に気づかれないように生活していた
――引っ越しを繰り返す中で、入居して2日で引き払った家もあったそうですね。
梶原 大家さんにご挨拶に行ったら、そのお宅のお嫁さんが父の同級生だったんです。彼女から「実家のお菓子なの~」と言っていただいたお土産が、父の故郷のものだとわかってピンときて「ヤバい、ここは無理だ」と。父が「これは○○ちゃんの家の菓子だ。東京に嫁に行ったと聞いていたが、まさかここだったとは」と言って、すぐに引っ越しました。
――引っ越し先を決めるときは、隣人がどんな人かも気にしないといけなさそうですね。
梶原 父は一日中家にいたので、隣人の生活音が気になるんですね。内見のときは留守だったけれど、実際に住んでみたら昼間も家にいる人だったとか、思っていたよりも壁が薄かったとか。そういう理由ですぐに引っ越すこともありました。
池袋は夜の仕事をしている人が多いので、昼間は静かだろうと踏んでいても、意外とそうでもなかったりするんです。
父は、私たちが家にいない間はトイレで用を足しても水を流しませんでしたから。こっちも生活音を出すと、「誰かいるんだ」と近所に気づかれてしまうので。

