「ふとした瞬間にものすごい闇が見える」逃亡生活中の梶原一家に対する“周囲の反応”
――当時は母子家庭を装い、お母様が家計を支えていたわけですよね。家にいる男性のことを、周りの友達にはどう説明していたのですか。
梶原 そのことについては、一切話しませんでした。父のことだけでなく、家のこと全般を、なんとなく話さないようにしていました。だから、本当の意味での友達は作れない、とずっと思っていました。みんなは私を家に呼んでくれるのに、私は誰も呼べない。そのことに、ずっと罪悪感を抱いていました。
――怪しまれることもあったでしょうね。
梶原 あったと思います。40年ぶりに再会した母の友人に、この本のことを話したら「あの部屋、やっぱり変だと思ってたわよ」と言われました。誕生日会に呼ばれたけど、生活感がなさすぎて「事情はわからないけど、家っていう設定なんだな」って、みんな気づいていたそうです。
でも、当時の池袋は変わった家庭が多すぎて、うちの家はあまり目立たなかったのかもしれませんね。友達の父親がヤクザに殺されたとか、もっとすごいニュースが毎週のようにありましたから。
――学校の先生から見ても、梶原さんのご家庭は「まとも」な方だった。
梶原 そうだと思います。きちんと商売をしていましたし、商店会にも所属していましたから。表面的には、明るくて頑張っている母子家庭に見えていたはずです。
ただ、その母の友人いわく、「太陽のように明るい親子だけど、ふとした瞬間にものすごい闇が見える。でも、それは聞いちゃいけないことだと思っていた」そうです。
「この人さえいなければ」指名手配犯の父親に対する複雑な心境
――梶原さんが小学6年生の時、1985年12月にお父様は警視庁に出頭します。その直前の3ヶ月ほど、運動会を見に来たり、家族で登山に行ったりと、急にお父様が外出するようになったそうですが、今考えるとそれらは「出頭の前振り」的行動だったと。
梶原 そう思います。後で母に聞いたら、私との思い出が全くなかったから、最後に思い出を作りたかったそうです。「家にいる変な人」という記憶だけで終わらせたくなかったんでしょうね。
――その「思い出づくり」は、娘として嬉しかったですか。
梶原 いえ、迷惑でした。思春期だったというのもありますが、急にたくさんのイベントを組まれても、「あいつと出かけても何も楽しくないし、余計なことをしてくれるな」と思っていました。
――正直、家にいるお父様は邪魔でしたか。
梶原 邪魔でしたね。「この人さえいなければ」と思っていました。母の商売はうまくいっているし、父は陰気で面白いことをひとつも言わない。私と母でせっせと餃子を100個作ったら、ほとんど一人で食べてしまう。本気で「いない方がいい」って。

