エッセイは本当の話じゃなきゃダメ?

千早 金原さんの『パリの砂漠、東京の蜃気楼』というエッセイ集も読んだんですけど、金原さんのエッセイって小説みたいだなって、思っていたんですよ。

金原 ありがとうございます。おっしゃる通り、この十年くらいエッセイは小説と同じだと思って書いてます。

千早 あ、やっぱり。

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金原 デビューした頃はエッセイがすごく苦手だったんです。変におどけた感じのエッセイとかを書いたりもしてたんですけど、小説に比べてなんでこんなに心地が悪いんだろうって不思議でした。でも、『パリの砂漠』は、掌編小説を書くつもりで書いたらすっごくスムーズに書けた。「なんだ、こっちのほうが書きやすいじゃん」って。この辺りからエッセイと小説の境目を気にしなくなりました。最近はエッセイの依頼が来ても、お構いなしにフィクションにしちゃっています(笑)。だってそもそも、現実をそのまま書くなんて不可能ですし。

千早 そうなんですよね。でも、エッセイって本当の話じゃなきゃいけないっていう圧が世間的にはあるじゃないですか。私はそれを意識してしまうから、エッセイが嫌で嫌で。『わるい食べもの』みたいに「食」という切り口があればなんとかなるんですけど、自分の日常を書く場合、噓を書いちゃダメということに縛られて、何が言いたいのかわかんなくなるんです。

 

金原 でも私、千早さんの私生活が垣間見える『胃が合うふたり』をすごく楽しく読みました。

千早 ああ、読んでくださったんですね。その本の共著者の新井見枝香さんはエッセイに噓をばんばん書けるんですよ。一緒に食事に行って書くというテーマだったのに、まったく関係のないことから書きだすし、それでいて面白い。書きながら「この人とはメンタルが全然違う」と思っていました。

金原 その違いがすごく興味深かったです。同じものを見ていても、全然違うメンタリティーでそれと向き合ってる。

千早 金原さんは小説には作家自身のことが書かれているみたいな読み方をされるのはどう思いますか。例えば『YABUNONAKA』だったら、この主人公の女性作家は金原さん自身っていう読み方をする人もいるじゃないですか。

『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』(文藝春秋)

金原 それはそれで全然構わないです。デビューした頃から、「主人公と自分を混同されることをどう思いますか」ってよく聞かれるんですけど、本当にどうでもよくて(笑)。どう読むかは読者の感受性によって決まるもので、受け取る側のフィールドだから、好きに読んでもらってかまわない。自分も誰かの書いた小説を読むときに、「もしかして実体験なのかな」とか考えますし。

 

千早 金原さんは河出文庫から出ている『私小説 作家は真実の言葉で噓をつく』という企画の編集もされていますよね。

金原 そうですね。私小説って言うと、みんな身構えちゃうじゃないですか。いわゆる昔の無頼な文豪たちが露悪的に酒や女にまつわる私生活を書いているのが私小説みたいな(笑)。「ドロドロしてるもの=私小説」みたいなイメージが古くさくて嫌だったんです。というのは私、私小説的な要素が入った作品がすごく好きなんですよね。モラヴィアやオルハン・パムク、ミシェル・ウエルベックとか、日本だと滝口悠生さんとか。なのでそろそろアップデートして皆にガンガン私小説を書いてもらいたいなと、そういう企画意図を伝えて作家のみなさんに依頼したんですけど、それでもやっぱり「いや、私小説はちょっと」みたいな反応は多かったです。

千早 確かに私にその依頼が来ていたら、「私小説とは何だ」ってなって一週間ぐらいフリーズしてそう(笑)。

金原 でも、自分にとって真実の言葉で書けば、それは私小説なんじゃないかなって思うんですよね。

千早 すごい素敵な言葉。

金原 ずっと私はそう思っているんです。実際にあったことかどうかというのは問題じゃなく、真実の言葉で書いているかどうかを意識して書いてくれれば全て私小説なんじゃないかな、と。