――夫婦間の役割分担に違和感があった。
Miho じゃあ、私に何ができるだろうと考えたとき、夫の仕事を一番近くで見ていたので、「彫り師」という選択肢が浮かびました。最初はすごく現実的な理由でしたが、スタジオについて行くうちに、タトゥーが「体をキャンバスにしたアート」だと感じるようになったんです。
今までのイメージが覆されて、職業としてもすごくかっこいいなと思いました。自分が何を大切にしているか、どんなものが好きかを、自由に表現できる仕事なんだな、と。
夢だった航空会社CAに内定…「うれしくて泣きました」
――そもそも、安定したCAという職業を手放すことに、葛藤はありませんでしたか。
Miho もちろん、小学生の頃からの夢だったので、まったく葛藤がなかったわけではありません。CAになるために国際系の学科がある高校を受験し、高校2年生の時には1年間、韓国留学も経験しました。専門学校に進んだのも、「大卒より早くCAになれる」という理由からです。英語もほとんど話せない状態から努力して、韓国語と英語を身につけ、日系の航空会社に就職することができました。
――Mihoさんの就職活動の時期は、ちょうどコロナ禍真っ只中でしたよね。
Miho 私が専門学校に入学した年にコロナ禍が始まって、外資系も国内の航空会社も、ほとんど募集がない状況でした。このまま募集が出ないかもしれないと思い、途中からはホテルなどのサービス業も考えました。
でも、ちょうど1、2社だけ募集が出始めた時期があって。会社を選ぶというよりは、「募集が出たところを受けた」という感覚でした。
――無事に、日系の航空会社に内定が決まったのですね。
Miho はい。2022年に入社しました。卒業前だったので、在学中から働き始めた形です。
内定が決まった時は、本当にうれしくて泣きました。学校の先生も、私がすごく頑張っているのを分かってくれていたので、一緒に泣いて喜んでくれました。専門学校の同級生でも、全員がCAになれるわけではなかったので、なおさらありがたかったです。
1日4本のフライトをこなしたCA時代のハードな日々
――実際にCAとして働き始めて、いかがでしたか。
Miho 人員が少なかったこともあって、仕事はかなり多かったです。最初の頃は、1日に3便、4便飛ぶのが当たり前で、休みもあまり取れない感じでした。
――1日に4便というのは、かなりハードですね。
Miho 国内線では1日4本までと決められているので、ほぼ毎日、上限近くのフライトを飛んでいました。短いフライトを4本飛ぶことになるので、休憩時間もほとんどありません。1便終わったらすぐ次の準備、という感じでした。
朝が早い時は4時起きで、会社が手配してくれたタクシーで空港に向かいます。ステイ(外泊)も週に2、3回ありましたし、休みは「4勤2休」というサイクルでした。土日休みの友達とは予定が合わなくなって、自然とCAの同期と遊ぶことが多くなりましたね。

