舞台は1991年冬。鉄のカーテンが取り払われて間もないこの時代、東欧には世界中から多くのユダヤ人が訪れ、家族が遺したものを探したという。ニューヨークからポーランドにやって来たルーシーもまたその一人。両親はアウシュヴィッツの生還者なのだ。
ホロコーストを生き延びた父と、娘のすれ違い旅
人生に行き詰まりを感じた彼女は、久しぶりに会う父とともに彼の故郷やアウシュヴィッツをめぐり、埋もれた記憶を探る――と書くと、重苦しい旅を想像するが、全編を貫くのは軽妙でコミカルな空気だ。なにしろ、過酷な過去を持つはずの父エデクが自由すぎる。ユーモアに溢れ、楽観的で自由きまま、誰とでもすぐ友だちになってしまう父と、生真面目で自分を追い込みがちな娘は、水と油だ。エデクがバーガーを食べていたせいで飛行機に乗り遅れてしまう冒頭のシーンからもう、やばい旅になる予感しかしない。案の定、旅のスケジュールを勝手に変更して好きに行動するエデクにルーシーは振り回され、常に爆発寸前。そういうルーシーもまた、豪華なホテルの朝食の場でも持ち込んだシリアルで通し、かと思えば我慢できずケーキをドカ食いしたり、父の奔放さを詰る一方で、落ち込むと離婚した夫に無言電話をかけてしまったりと、これまた現代女性のリアルさ満載で、痛々しくも愛おしい。久しぶりに会う親子の気まずい距離感もあるあるだし、お互いの非常識をツッコみ合う珍道中を見ているうちに、共感の笑いがこみあげてくる。
タクシーで旅をしながらも、決して隣には座らない。同じ食卓についても違うものを食べる。話をすれば、噛み合わない漫才のよう。そもそも両親の過去にこだわるのはルーシーのほうで、エデクは赤の他人が勝手に住み込む自分の生家を見ても全く興味を示さない。彼は、この旅に出る前は過去をいっさい語らなかった。1年前に死んだルーシーの母も同様で、それでも母は毎晩叫びながら目を覚まし、ルーシーは幼いころから両親の傷を誰より身近に感じていた。しかし踏み込むことはできず、両親も決して触れさせず、気がつけばそれが親子を大きく隔てる壁となってしまった。ルーシーがこの旅に臨んだのは、親の過去、そして心を知るためだ。そうしなければ自身の孤独を乗り越え、前に進めない。なのに同行したエデクは過去などどうでもいいと言わんばかりの態度で、ルーシーを苛立たせる。しかしアウシュヴィッツで初めて本心を見せる父の姿に、彼女はようやく、これまでの父の奔放にすぎる振る舞いの理由を知るのだ。



