「動物にあげるキャベツやニンジンを持って帰り…」両親が離婚したあとの貧しい生活
――3人での新たな暮らしでもお金には苦労したんでしょうか。
戸田 うちの母は父の借金の連帯保証人になっていたので、自己破産をしてるんです。だからクレジットカードも作れず、お金には苦労したみたいです。それでも母は保険の外交員として働いて、まだ若かったこともあり、お客さんとお酒を飲んだりとうまく付き合って、契約も取れていたんです。
最初に3人で住んだのも東京・笹塚でした。だから最初はすごく貧乏という感じでもなくて、買いたいものも買ってもらってました。それこそシルバニアファミリーを買ってもらったこともあったんですが、今思うと母じゃなく、母のお客さんが買ってくれたのかもしれないです。
ただ、しばらくして笹塚には住めないとなり、その後は調布に引っ越したんですけど、そこでうちにはお金がないと意識するようになりました。そもそも考えたら、私、ランドセルをずっと持っていなかったんですよ。
それに調布に引っ越した時に、本当なら学校指定の体操服を買わないといけないんですが、うちにはお金がないから私だけ前の学校で使った体操服を着ていました。調布は男子だけでなく、女子もハーフパンツだったんですが、私だけはブルマのままでした。
――周りと自分が違うことに気づくわけですね。
戸田 そうですね。調布からも結局引っ越して、その後は高幡不動に住んで、どんどん家賃の安い京王線の西へ引っ越していきました。
小学校で飼育委員になったことがあったんですが、動物にあげるキャベツやにんじんを持って帰って、それを食べていたこともありました。その頃くらいから夜9~10時まで帰ってこない母の代わりに私が料理を作るようになっていて、持って帰ってきたキャベツやにんじんを炒めて食べてました。
ポテトチップスを買いたくても買えなかったんで、家にあったジャガイモをスライスして作ってましたね。ただ、料理自体は好きだったので苦ではなかったです。
撮影=志水隆/文藝春秋
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