「スーパー荒れた学校でした」超ヤンキー校に入学し、バイト三昧の高校時代
――戸田さんがお母さんを心配していたからこその勘違いですよね。中学生になると周りがもっとよく見えることで、家庭状況がわかってきます。そこでつらさなどは感じませんでしたか。
戸田 小学校の高学年から中学生までの3年間は、私たち3人に加えて、母の妹である叔母と一緒に4人で住むようになったんです。母としても家賃が半分になるので、中学時代は少しは生活が楽になっていました。
ただ、その叔母が病気になって余命宣告を受けたんです。余命宣告を受けると死亡保険金を生前給付金としてもらえる保険に入っていたのですが、叔母は「最後にみんなで一緒に大きいところに住みたい」と私が中3の時に東京・稲城市にマンションを買ってくれたんです。
けっきょく叔母はそのマンションには住めずに亡くなったのですが、マンションを残してくれたので、私たち家族にとってはものすごく助かりました。その頃から生活も少しずつ楽になっていったんです。
――では高校生くらいには生活も楽になったんですね。
戸田 そうですね。アルバイトもできる年齢になったので、近所のマクドナルドで3年間アルバイトしました。時給760円くらいで、楽しかったです。
ただ高校は、とにかく私が入れるレベルの高校なので、もう本当にやんちゃで。勉強ができない人か、本当のヤンキーしかいないみたいなスーパー荒れた学校でした(笑)。本当に絵に描いたようなヤンキー校でしたね。
「ガムを廊下に吐くのは当たり前」「廊下を原付で走っている子も…」
――どのぐらい荒れていたんですか?
戸田 ガムを廊下に吐くのは当たり前だし、廊下を原付で走っている子が本当にいました(笑)。私が入学する1年前には、文化祭で他の学校と抗争があったみたいで、鉄パイプで殴られて下半身不随になった子もいたみたいなんです。だから文化祭には警察がすごくいっぱい来てました。
――漫画みたいなヤンキー高校ですね……。
戸田 私は単に頭が悪かったのでその学校に入ったんですけど「ヤバいところに入ってしまった」と思ってました(笑)。
頭の悪い軍団とヤンキー軍団だったら、ヤンキー軍団の方にいたいなと思って、髪を染めて、ルーズソックスを履いて「いえーっ」とかギャルをやってました。日焼けサロンも流行ってたので「雨降って寒いから日サロ行こうぜ」とかやってました。
ただマックのバイトでは髪を染めちゃダメだったので、駅のトイレでお団子にしてスプレーで髪を黒く戻してからバイトに行ってました。口調も学校ではだるくもないのに「だりーぃ」とか言ってましたが、マックだとハキハキ「いらっしゃいませ!」と言ってました。

