天正八年五月十五日付で、但馬を流れる円山川沿いの市左衛門ほか三名にあてたものです。

〈今日十五日より、於何方ニも、あゆ取可申候、不可有異儀候、次誰ニあミをかり候共、かし候ハハ可為曲事候、此四人之外之者召つれ候事、不可有□、仍如件〉

 今日、五月十五日から、(あなた方四人は)どこで鮎を取っても構いません。その鮎漁に対して「異儀あるべからず」、誰も邪魔をしてはならない。次に、鮎を取る網を誰に借りてもいいが、誰かに網を貸すことは「曲事なるべし」、貸してはいけない。四人以外の者を召し連れて漁をするのもいけない、としています。

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 つまり、四人の者に特権として鮎漁を許可しているのですが、興味深いのは、鮎を取ることができるのはこの四人だけ、という点です。つまり彼ら四人が、ほかの誰かに鮎を取っていいよ、と許可する権利は与えていません。鮎漁を許可できるのはあくまで秀長一人なのです。

 この鮎漁を許された四人は名字もないことから、足軽などとして参戦し、個人的に手柄を立てた人たちかもしれません。その功績は、領地を与えるほどではないけど、何かを与えたいと考えると、「鮎を取る権利」という絶妙な報酬を与えています。

写真はイメージ ©getty

 与えても、秀長の損にはあまりなりません。一方、貰った者の喜びは大きいでしょう。出世する人は自分には損がないが、人が喜ぶものを思いついて与える才能をもっているものです。鮎を取って売れば、結構な収入になるでしょう。

「ギブ・アンド・テイク」と「知恵の分配」

 さらに秀長の特徴といえるのは、事前に起こりうる事態を想定して、具体的に指示を下していることです。彼らが網を持っていなかったら困るだろうから借りるのはいいけれども、網を貸したり、他人を漁に連れてきたりするのはダメ。このリアルな想定力は、いかにも現場を知る者という感じがします。おそらく長い農村での生活のなかで、こうした権利の線引きが、どのように効力を発揮するか、よくわかっていたのでしょう。

 私はここにも、豊臣兄弟らしさを感じます。彼らには当然、もともとの家臣はいません。では、どうやって自分たちのために働いてくれる人々を集めていくか。そのキーワードは「ギブ・アンド・テイク」であり、「知恵の分配」です。何かをしてもらったら、それに対して、相手が満足するような、もらったものに見合う、あるいは上回る報酬やサービスを与える。お得な知恵を与える。それによって人心を掌握し、忠誠心を高めていったのです。

 そのとき、豊臣兄弟が提供したのは、銭や領地だけではありません。彼らは「銭の儲け方」のアイデアをすぐに思いつく天才でした。そして、その知恵を、自分たちについてきてくれた人々に分け与えたのです。アイデアは低コストのプレゼントです。与えれば尊敬が返ってきます。豊臣兄弟はそれで天下に近づいたのです。

 本能寺の変までに、秀長が残した手紙はわずか二十通。その内容もほとんどは断片的なものばかりですが、そこからだけでも、彼ら豊臣兄弟の特異な才能、そして彼らが置かれた時代状況がうかがえます。

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