半殺しにしようと思ってたキラー・カーン戦

 では、黎明期の新日本でたびたび起こっていたケンカマッチとは、どのようなものだったのか。

「そんな大ごとになるようなことは少ないけど、お互い感情的になるようなケンカはよくあったよ。ケンカが始まると、他のレスラーたちも面白がるんだ。『おっ、始まったな』『おい、どっちのほうが強い?』とかな。

 俺とキラー・カーンがリングでケンカした時もそうだった。向こうがマディソン・スクエア・ガーデンから帰ってきて、ちょっと天狗になってたんだよな。それで正々堂々とケンカしたんだよ。

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 あの時、猪木さんは控室で若手にマッサージをしてもらってたらしいんだけど、星野勘太郎さんが『藤原と小澤(正志。カーンの本名)が始まりましたよ』って報告したら、べつに怒るでもなく止めるでもなく、『おう、そうか。どっちが強い?』って言ったらしいからな(笑)。ある意味で、猪木さん公認とは言わないけど、黙認のケンカだったよ」

アントニオ猪木 ©getty

 ここで語られた藤原とキラー・カーンのケンカマッチは、1983年3月23日の山口県立体育館で起こった。事の発端は、このシリーズにおけるカーンの周囲への態度だったという。

 当時、アメリカのWWF(現・WWE)でヒールとしてメインイベントを張るようになっていたカーンが帰国。それをひけらかすような尊大な振る舞いにカチンと来た藤原が、カーンの試合前、リングに上がる階段を逆さに置くというイタズラを仕掛けた。

 試合後、それが藤原の“しわざ”だと知ったカーンが、侮辱的な言葉を吐いたことで関係が悪化したという。

 それを知ってか知らぬか、3・23山口大会で藤原vsカーンの一騎打ちが組まれたのだ。

「ケンカマッチだとかいうけど、ある意味で、あれがホントの試合だよ。自分が磨いてきた腕の“試し合い”だからな。『お前、そんなデカい態度してるんだったら見せてやろうか?』っていうだけの話だよ。なんのことはない。ただ、あの時はそりゃ半殺しにしようと思ってたよ。ケンカってそういうもんだからな。リング上でのケンカなら、万が一のことがあったとしても『いや、事故ですよ』で済んじゃうから。自分がそうならないように守る技術も必要になるんだ」

次の記事に続く 「ケンカの結末なんか考えない」藤原喜明VSキラー・カーンの激闘はいかにして終わったのか…? 長州力も乱入した「異例試合」の顛末