「半殺しにしようと思ってた」――藤原喜明がキラー・カーンに本気でキレた1983年の一戦。あれは試合か、ケンカか。昭和新日本のリングで実際に起きていた“ガチの衝突”を本人証言でたどる。宝島社の新刊『証言 プロレス界ケンカマッチの真実』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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プロレスが一生できないようにすることも可能
取材の冒頭、本書のテーマが「ケンカマッチ」だと伝えると、藤原喜明からは開口一番、こんな答えが返ってきた。
「出版社から事前に送られてきた企画書も読んだよ。『わかってねえな』と思ったな(笑)。まあ、そう言ってしまえばそれで終わりだから少し話すと、プロレスっていうのは闘いだから、もともとケンカとあまり変わらないんだよ。体を鍛えて腕を磨いた人間がそれをお客に観せているっていうだけでね。
ただ、俺たちはシリーズで全国を回って毎日のように試合をするから、相手に無用なケガはさせちゃいけないという暗黙のルールはあるけれど、昔はそんなルールやお客も関係なくケンカになってしまうこともたびたびあった。だから面白かったんだよ」
70年代前半の新日本プロレス黎明期、選手たちの人間関係は「サル山と同じだった」と、藤原はこれまで繰り返し語っている。先輩後輩の序列がはっきりしている縦社会ではあるが、力がものをいう世界であり、自分の居場所、立場をつくるには強くなるしかない。そんななかで、たびたび選手同士の衝突も起こったという。
「ケンカの始まりは、実にくだらないことだよ。プライドを傷つけられたとかな。昭和の新日本プロレスというのは、先輩後輩の序列が一応決まっているから、たった1日だろうと先輩のことは『さん』づけで呼ぶし、何か言われたら『はい』と答える。ただ、そこには限界があるし、許せることと許せないことがある。そういう時はケンカにもなるさ。
ただ、お客さんの前での試合より、そういうのは道場での練習でやることのほうが多い。道場のスパーリングで痛めつければいいわけだし、それでもわからないようだったら、プロレスが一生できないようにすることも可能なわけだ。だから力が大事だっていうことだよ。
プロレスラーは自分の身は自分で守ることが基本。他に誰も守ってなんかくれねえよ。国と国だってそうだろ。日本をアメリカが守ってくれると思ったら大間違い。なんで日本を守るためにアメリカの兵隊が血を流さなきゃいけないんだい? プロレスの世界だって同じなんだよ」
