日本プロレス界の父・力道山は「プロレスはルールのある喧嘩である」と言った。ルールに基づいて行えば、どんなに激しい流血戦も、ただの喧嘩でなくプロレスになるのである。

 しかし、時にはその範疇を越えた不穏試合や「喧嘩マッチ」と呼ばれる試合もある。1993年4月2日に横浜アリーナで行われた「北斗晶VS神取忍」戦は、女子プロレス界で誕生した伝説の喧嘩マッチだ。

 ここでは、『プロレス喧嘩マッチ伝説―あの不穏試合はなぜ生まれたのか?』(彩図社)から一部を抜粋し、「北斗晶VS神取忍」戦の一部始終を紹介する。(全2回のうち1回目/アントニオ猪木編を読む

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北斗晶さん ©時事通信社

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女子プロレス、伝説の喧嘩マッチ

 1993年4月2日、全日本女子プロレスの横浜アリーナ大会にて初の女子プロレスオールスター興行「ALL STAR DREAM SLAM」が開催された。

 この大会のセミファイナルで組まれた全日本女子の北斗晶とLLPWの神取忍の一戦は、「デンジャラス・クイーン決定戦―横浜極限―」というタイトル名の通り、プロレスを超えた危険で壮絶な喧嘩マッチを展開、伝説の名勝負として後世に語り継がれている。

 北斗は1985年に全日本女子でデビュー。かつて首の骨を折る重傷を負うも奇跡のカムバックを果たす。1992年にヒールに転身、ブル中野との抗争やFMW女子との対抗戦、オールパシフィック王座戴冠で注目を浴び、神取戦はレスラー人生最大の大一番だった。

 一方の神取は世界柔道選手権大会3位の柔道エリート。第二の人生として女子プロレスを選び、ジャッキー佐藤との不穏試合の一件もあり、「神取最強説」が流れていた。1992年に旗揚げされたLLPWではエースに君臨している。

 試合開始のゴングが鳴り、眼光鋭い睨み合いから互いが歩み寄る。「やるか! オラ」と怒鳴りながら近寄るといきなり、右ストレートで神取をダウンさせた北斗は、マイクで「神取! テメーの実力はそんなもんか! 立ってみろ!」と挑発。まるでアントニオ猪木vs 大木金太郎で、猪木がレフェリーチェック中に大木の顔面にパンチを打ち込んだシーンを見るかのようだ。

 立ち上がった神取にトーキックと張り手ラッシュで襲い掛かる北斗だが、神取が張り手とラリアットを見舞う。ダウンを奪うとすかさず北斗の左腕を極めにかかる神取。

 “関節技の鬼”藤原喜明直伝の腕折り固めが極まり、北斗は悶絶しながら肩を抑えて場外にエスケープする。神取は場内の観客に「折ってやったぞ!」とアピール。どうやら神取の腕折り固めにより北斗の肩は壊れてしまったようだ。悲鳴をあげる北斗に、セコンドがかけつけ介抱する。