稀代のヒールレスラーとして活躍し、現在はタレントとしてお茶の間に欠かせない存在の北斗晶さん。メキシコでプロレス修行した際の苛酷な経験から、プロレスラーとしての「自分の魅せ方」を身につけていったという。

『週刊文春WOMAN vol.11(2021年 秋号)』より、知られざる若手時代のエピソードを抜粋する。

北斗晶さん ©時事通信社

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言葉が通じないメキシコでは、水1本買えなかった

 若さゆえの失敗には誰もが見舞われる。問われるのは、それにどう立ち向かうかだろう。

「なんでも跳ね返すイメージも強いと思いますけど、そんなこともないんです。人生って、なんともならない時がいっぱいある。メキシコに行った時がそうでした。辞書も持たずに行っちゃったんですよ、なんとかなると思って。でも、ならなかった。

 喉が渇いて『これ』って指差して買った水が、開けた瞬間にシュパーッてなって。アグアミネラル(ミネラルウォーター)とアグアコンガス(炭酸入りミネラルウォーター)の、コンガスを買っちゃったんですね。私はこの国で水一本買えねえよ、と思って」 

 同行した後輩の手前、不安な姿は見せられない。新人時代、頸椎骨折すら克服した北斗だったが、準備不足ではなんともならないこともあると痛感した。

「それからはジョン万次郎ですよ。目で、アクションで観察するんです。1日3試合あって『ノスベモス』と言って楽屋を出る人と『アスタマニャーナ』と言って出る人がいる。前者は次の会場にもいる。後者は次の日にいるんですよ。

 だからメモしました。『ノスベモス』の人=すぐ会う。『アスタマニャーナ』の人=次の日に会う。正という字で集計をとったんです。正が増えていったら確信に変わるんですよ。『アスタマニャーナ』って『また明日ね』なんだと」

 北斗が持っていた日本の化粧道具に興味を示したメキシコ人レスラーが「コモセディセ ハポン」と化粧品を指さしたことがあった。

「ハポンは日本だと知っていたので、『コモセディセ ハポン』は日本語でなんて言うのかを聞いてるんじゃないのかと思って。『コモセディセ』を覚えてからのスペイン語の覚えは速かったです。周囲に『コモセディセ』って聞いて、全部紙に書いて覚えていったんで。

 おしゃべりなんで、人としゃべりたかったんですよ。あとは、同じ控室にいても対戦相手がなに言ってるか分かんないし。『アキラ』って聞こえると、このやろ、私の悪口言ってるなって(笑)」

 語学力不足から、お金をごまかされたこともあった。CMLLの社長に挨拶に行った時、来日経験のある男性プロレスラーから教わった挨拶を伝えたら、それが卑猥な言葉だったことも。